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自分メモ+日記01

自分メモ+日記
2023/02/08
日記をはじめる。
年が明けてから暇で仕方がない。
仕事が一向に来なくなってしまった。
サラリーマン=ベーシックインカムになりつつある。
嬉しいし楽そうに見えて、内心はかなり不健康だ。
こんな時間もこれから何年生きるつもりかしらないが貴重なのかもしれない、
暇ついでに残しておくことにする。

<最近見た映画について>

・「ちびまる子、私のすきな歌」
キャラクターとして子供とお姉さんの組み合わせが良い。子供が少し先の未来を垣間見る瞬間、知らないことを知ってしまう瞬間を感じる。普段のアニメのコミカルさにアンバランスな戦争という題材は恋愛を通すことで一般化し、うまくいっている気がする。お姉さんと子供の組み合わせはおじゃ魔女の細田守の演出回に通じるものを感じる。いろんな距離を縮める手段が生まれた昨今、連絡は取れるし写真や動画も観れるが、会うことはない。そんな距離感と当時の北海道へ行ってしまうお姉さんとは、今であれば海外に移住するような距離感なんだろうか。もうそんな想像も人間は忘れてしまったのかもしれない。現代は距離感がバグってしまっている。人も国も何もかも。


・「ヤンヤン」(エドワード・ヤン)
・「恐怖分子」(同上)
・「台北ストーリー」(同上)
エドワード・ヤンに興味を持った。ヤンヤンの結婚式のシーンの風船のカットを仕事のリファレンスで見つけたのだ。彼はあまりカメラを動かさない。陰影が強く、群像劇が得意だ。複数人が関わり合う家族というコミュニティを描くのがうまい。見せないものをうまく選んでいるように思うし、舞台装置の設定(例えば、家にいる病に伏す寝ているおばあちゃん)や構成がすぐれている俗にいう西洋的な映画なのかもしれない。みやすいし、第1印象からキャラクターが変化していくのがみごとだ、どのキャラクターも最初に見たときの印象から変化していく、家の中、一人の中、それぞれの見え方が異なる。見せ方も異なる。エドワードヤンの映画の男は苦悩している。どれも親近感を覚えるような悩み、特に中年男性がうまい。無垢な少年ヤンヤン、汚れた大人や夫婦たちの欺瞞、宮崎駿にも通じる子供の美化を感じた。あとは強烈な緑。木漏れ日。色彩と小物や装飾のおしゃれさ。ディティールが刺してくる。なんだか自叙的で、年齢に合った作品をちゃんとその時の完成で拾い上げて描写している気がする。恐怖分子の都市がもたらす影響、都市論を感じる。つまり都市の話だ。ヤンヤンは結婚式からお葬式までのお話、詰まるところ家族と人生について。台北ストーリーは恋人の話かと思いきや、夢が敗れた後の話、つまり生きる上でのよりどころのようなものだ。それぞれのライフステージをなんとなく感じる。


・「お葬式」(伊丹十三)
ようやく見た。良い映画だと思う。共感というサービス精神が反映されているこの映画は、人に優しく、何か人間の様、無様、不様を見せつけてくる。ただカメラは良くなかったように思う、人が欲する前に見せてしまう、注目してるのに寄ってしまう、そんなショットが目立った。小津安二郎が言ったらしいが、”観客が飽きたら音楽を流すんだ。”と、そんなもんで良いのかもしれない。いいものは演出を足さなくていいのだ。だがそれもサービス精神なのかもしれない。気の利いた人が作った映画なんだと思う。でもある意味人を信用していない感じが見える気がした。キャラクター造形が良い。8 1/2みたいな。アマルコルドみたいな。フェリーニっぽい感じ。富裕層なのか、お金持ちなのか、そういった人を自虐的に描きたくなる気持ちも透けて見える気がする。それが逆に美化していることになるのに。伊丹はおくびょうな人なのかもしれない。先入観として広告屋っぽいと片付けるのは簡単で、映画を観た結果そうではないと思った。その理由は最後の挨拶を語るおばあちゃん(菅井きん)のシーンは心打たれる、良いシーンは少し見た人を不安にさせるのかもしれない。良い映画には良いシーンがある。


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