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断捨離、焼畑、取捨選択

貝殻をひろう人を見た。
そのひとは海の近くに住んでいて、毎日のように浜辺に行っては貝をひろって帰ってきて、箪笥の中はコレクションでいっぱい。
毎日が幸せそうに見えた。


ちいさなころの自分も海に連れて行ってもらった日は夢中で波打ち際を辿った。
色がきれいなものは滅多に無かったから、惹かれたのは大きくてかたちが完璧なもの。少しでも欠けていたらだめ、貝殻じゃなくても丸い石や白くなったサンゴは熟考の末ひろった。ビーチグラスはとくにお宝だった。

タオルで何重にもくるんで持ち帰って、問題は家で眺めるときだった。
海ではあんなに惹かれたのに、蛍光灯の下で見る石ころや砕けた貝はなぜか魅力がなくなってしまう。
公園でシロツメクサを摘んだのに、帰る頃には萎れてしまっていたたまれなくなるのと同じ気持ちになった。

あの貝殻たちは海に居た方がきれいだった。私がその美しさを奪ってしまった。
水に濡れていたから、浜辺ではきらきらして見えたのだろうと今ならなんとなく分かる。
それでもそのときはなんとなく、こんなふう思ったのだ。

そういえば4年ちかく、海には行っていない。
とくに理由はなくて
強いて言うなら機会が無かっというだけの話。
けれど、たまに自分でも驚くほど、海に焦がれるときがある。
現実から逃げたくなるときがある。
海は私にとって逃避場所だ。
楽しかった記憶が、きらきらした宝物がそこにはある。


あの時ひろったものはいつだったかにみんな捨ててしまった。
貝も石も死んだ珊瑚も硝子も、結局箱にしまい込んで、大掃除のときにしか蓋を開けなかった。
魅力をうしなった宝物は途端にゴミに姿を変える。
むなしくて、海に行ってもものをひろうのをやめた。

大切なものを取捨選択しなければいけなくなったのだなと、今ふと思った。

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