(小説)砂岡 4-3「勝利」

 翌日、わたしは自室で目を覚ました。わたしがアールグレイのカフェインで酩酊しているあいだに誰かがわたしを家に届けてくれたんだ。

「やばっ」

そして、急いで新聞を開く。昨日のことが書かれていた。一面の見出しは「イルガ法成立、自治確定」写真は、あの移動要塞スレイプニルの甲板エリザベスやロレンツォたちが立っている様子だ。自室から飛び出して近所のキオスクに駆け込む。「王室と政府との大英帝国を堅持するための一撃」「武装中立との取引」「大会英帝国の衰退と威厳の維持」「サンドバランス誕生か」わたしは新聞のすべての写真や記事をくまなく読んだ。「改正イサオカ法」「陣屈国にも独立運動の兆し」「またもや王室のスキャンダル暴露」そして、数々の災害の爪痕。夢じゃない。それにしても、「よかった」わたしの写真も、わたしについて触れた記事もひとつもなかった。王室からの「配慮」に違いない。彼女らにも人の血が流れているのだ。

「お姉ちゃん、おかえり」おっ、妹だ。ここはわたしの家なのだから驚くことはない。
「キンこそ、おかえり」
「お姉ちゃん、お母さんどこいったー?」
「いつものことでしょ」
「いや、お姉ちゃん、あなたこの大事件でよく平常心保ってられるね。さすがというかなんというか。その鈍感さ、わざとやっているとしたら、憧れちゃうな。」
「キン、なんか作っといて」
「なにを?」
「食べ物」
「自分で食べに行けば」
「お風呂入る」
「断水しているよ」




帝国領内の各国で独立運動が起こり、その全ての地域で国旗にユニオンフラッグを左上にペタッとくっつけながら、中立化を実現した。独自の憲法と自治を認めた「イサオカ法」である。そして「イルガ法」によってイルガにも法的な自治が認められた。これがこの事件後の大英帝国と陣屈国と南のネクロポリス国家群との関係である。北の「ノルディックバランス」にちなんで「サンドバランス」と呼ばれた。


大好きな服を着て、それを誰にも咎められず、歩ける権利
誰から、何と呼ばれたいかを自分で決められる権利

所詮は大国の思惑通り。
しかし、これはイルガの勝利だ。

「お姉ちゃん、あたし、さきに、マックシェイク食べてるわ」

イサオカにも独立と同時にコーラやマクドナルド、といった陣屈国の企業も進出した。このスーパー銭湯もこの大事件で大賑わいである。

自宅に帰ると、お母さんとおばあちゃんが待っていた。テーブルの上には紫色の布に包まれた高さ30cmくらいのふっくらした壺が置かれていた。


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