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ジャーナリングの効用

もやもやとした悩みを友達に打ち明ける時、話しているうちに自分の考えが整理され、なぜ悩んでいたのか、これからどうすればよいかが自然と見えてくることがある。書くことも同じで、noteでわざわざ下手な文章を公開するのには、書く作業を通して自分自身を知るという内向きの理由も大きい。ただし、ある程度ボリュームのある文章をコンスタントに書き上げることのできる性格ではないため、ジャーナリングという形式で毎日少しずつ思考を分析し書き連ねる取り組みを始めてみた。

ジャーナリング(Journaling)とは、簡単に言えば日記をつけることだ。狭義では、頭に思い浮かぶことをとにかく紙に書き出して心を整えるメディテーション的なメソッドを指すこともある。僕の場合は、夜眠りにつく前に一日の出来事を思い返し、1~3行程度の短い日記として日々書き連ねていて、それをジャーナリングと呼んでいる。(英語のアウトプットの場という裏テーマもあるので in English で頑張っているけど、まあ効果はたかが知れてるだろう。)

さて、僕はジャーナリングのツールとして、”Presently”というアプリを使っている。毎日、”I am grateful for(~に感謝している)”に続けて文章を書く仕様になっているので、一日を振り返って人やら物やら環境やらに半ば強制的に感謝をすることになっている。”gratitude journal(感謝の日記)”と呼ばれているものらしい。アプリを使う利点として、毎日通知が来るから書き忘れることもない。だから、疲れて面倒な時でも、一言でいいからとにかく何か書くことを意識している。(「松屋」と一言だけ書いた日がある。食事を作るのも日記を書くのも面倒だったらしい。)
実際これを続けてみると、なんとなく過ごしてしまいがちな生活が少し特別なものに感じられるというだけでなく、それ以上に「何に心を動かされたのか、なぜ動いたのか」を知ることができるのが嬉しかった。自分の感情のツボのようなものは、案外自分でも分かっていない。その洞察の加減も、書き続けるほどに深くなっていく。最初の頃は、ただ何々が好き、誰々に感謝している、とだけ書いていたのが、何々のこの部分が好き、誰々のこのような考え方に感謝している、というように、より細かい網の目で心の動きを読み取り、言葉にすることができてきた。

ふと、この一連の過程は確かに自分に向き合う瞑想のようであり、こうありたいという祈りのようであると気がつく。自分に対して、世界に対して、少し優しくなれているのかもしれない。

これからもがんばります。