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月の影 影の海 感想文

※この感想文は、以前ネットプリントで配布したものです。
※初見の感想ではなく、数年ぶりに改めて読んでみた感想文となります。
※ヘッダーのセリフは月の影 影の海からの引用です

これは、あなたの物語。
 十二国記ファンなら、心当たりがあるだろう。白銀の墟 玄の月刊行後、朝日新聞に出された十二国記の一面広告に付けられたコピーだ。
 このコピーの通り、十二国記のキャラクターはみんな人間らしく、生々しい。どこか自分と重ねてしまうところがある。
 共感してしまうキャラクターというのは、どういうキャラクターだろう。強く、美しく、それでいてお金持ち?
 そうではないと私は思う。
 どちらかと言うと、弱さや、ずるさがあるキャラクターに、私は強く共感してしまう。人はきれいで正しいだけでは生きていけないと思うからだ。
 月の影 影の海の陽子もその例にもれない。
 陽子は両親、特に父親の価値観に強く抑圧されている。
 高校もいきたかった高校ではない。話しかけてくれるクラスメイトもいるが、陽子は便利に利用されている。いじめらしい行為にも、本意ではないが反抗するのを厭って、加担している。
 陽子は決して正しいヒロインではない。どこにでもいる女子高生だ。
 月の影 影の海が描かれたのはもう20年以上前になるが、陽子の日常は、現代の高校で起きていてもおかしくないと思ってしまうほど、生々しい。それは人間の本質を描いているからだと思う。
 そんな陽子の日常は突然打ち破られる。ケイキだ。

 私は月の影 影の海を読むのは初めてではないから、景麒に悪意はないことは知っているし、不器用なだけで根は優しい麒麟だと知っている。
 そう知っていてもなお、景麒の陽子に対する扱いは、あまりにひどすぎる。月の影 影の海を読むと、毎回景麒のチュートリアルの杜撰さに仰天する(慶だけに)。
 景麒は妖魔という災厄を連れてくる。余裕がないのはわかるが、少しくらい説明してもいいだろう。
 ろくに説明もせず、天意だから、あなたが王だからと、何もわからない陽子を神に召し上げる。
 玉座の押し売りだ。あまりに早い。
 もはや、出会い頭だ。
 出会って5分かそこらしか立っていないのではないか。説明しないくせに陽子の行動の一つ一つを非難する。こんな指導担当、嫌すぎる。
 新入社員で、先輩上司がこれだったら、研修期間でやめているだろう。
 残念ながら陽子はやめられないのだ。
 続くパワハラ。
 無視に加担するさえ気に病んでいた少女に、剣を渡して妖魔を切れと言う。どの角度から見ても無茶だ。
 何も説明をせず、賓満を憑依させる。知っていても気味が悪いところがあるのに、拒絶するなと言うのも無茶すぎる。戸惑う陽子は景麒に尋ねる。景麒は答えない。
 空を見上げて、「来た」と言った景麒に、私は笑ってしまった。
 コミュニケーションってなんだろう……

 景麒は陽子を守ると言っていたが、はぐれてから景麒は迎えに来ない。陽子はしびれを切らして、帰るために着の身着のまま歩き出す。
 行き先がわからない行程はつらい。
 行った先でも助かるとは限らないからだ。
 しかも陽子は、夜は妖魔に、昼は衛士に狙われる。気の休まる暇もない。
 自分の醜い部分を目の前に突きつけてくる猿の幻を、ないよりはましだと陽子は話し相手として求めている。鞘をなくして悪いことが起こると聞かされていたが、猿を悪いこととして陽子は勘定していない。
 もはや猿の一匹や二匹、陽子の中では誤差なのだ。それくらいの状況に、陽子は置かれている。

 陽子を騙した人が二人いる。優しくしてくれたのに、陽子を売ろうとした達姐。
 巧は豊かではない、こうやって金を稼ぐ人がいてもおかしくないだろう。
 同じ海客なのに、陽子の荷物を盗んだ松山。
 同胞なのに、これでは誰も信じられないと、陽子は嘆くが、私は同胞だからこそ、松山は陽子から荷物を盗んだのだと思う。
 自分と同じ立場のはずなのに、陽子の方が「いい思い」をしていると松山は妬み、これでイーブンだろうと荷物を盗んだのではないか。
 嫉妬は、あまりにも遠い存在には湧いてこない。近い存在だからこそ、妬みは深くなる。
 陽子は裏切られ、傷つき、一つの解決に至る。
 誰も信じないことだ。
 最初から期待しなければ、裏切られたとしても傷つかない。
 心身ともに傷だらけになり、瀕死になった状態で、陽子は楽俊に出会う。

 月の影 影の海には物語の駆動力となっているキャラクターが二人いると思う。
 一人は景麒、もうひとりは間違いなく、楽俊だ。
 ふかふかの毛皮を持ち、ほたほたと歩くこのチャーミングなキャラクターは陽子に手を差し伸べる。
 半獣だからこそ、楽俊は陽子に手を伸ばしたのだと思うし、人でも獣でもない不思議な生き物だからこそ、陽子は楽俊の助けを受け入れたのだと思う。
 珠晶が犬狼真君に出会ったことが天意だという描写が、図南の翼にあるが、月の影 影の海だと、陽子が楽俊に出会ったことが天意だったのではないか。
 楽俊は陽子に、この世界の理を丁寧に説いていく。目的もなく歩いていた陽子は、どうすればいいかを教えてもらう。
 道中、妖魔に襲われ陽子は楽俊と逸れる。
 人への不信に目が曇っていた陽子はそこで、目が覚める。
 陽子自身が信じることと、人が陽子を裏切ることには何も関係がないこと。
 再会したあと楽俊が、陽子の裏切りを同様の考えで受け入れていたことを知る描写がある。
 楽俊はひどくできた人物で、おおらかで優しく正しい。けれども、きっと楽俊にも陽子と同じように、虐げられ傷ついた過去があったのだ。

 終盤、景麒の正体がわかり、この世界で与えられた陽子の役割を知る。奇妙な世界の、いくつもの理を知る。知らぬ間に一国の主になっていた陽子は、戸惑う。
 玄英宮のテラスで、陽子は楽俊に「もっとましな人間になってから……」と、陽子は話す。
 陽子の戸惑いは、突然子供ができた親のようだと思った。もちろん国はもっと重いものだけれども。生むしかないと、内心決めているように見えた。

 冒頭、戦えないと水禺刀を放り投げた陽子は、気味悪がっていた冗祐を受け入れ、助けられ、景麒を助けに行く。陽子の変化に景麒は驚く。陽子は役割を受け入れ、景麒と再度誓約をする。
 おとぎ話だったら、末永く良く国を収めるだろう。けれどもこれは十二国記だ。

 景麒の中にはまだ、目を閉じて戦いを拒んだ陽子がいる。
 冗祐は知っていても、景麒には成長した過程はわからない、ふたりで何も困難を解決していない。だから、波乱はまだ続くのだ。

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