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クリエイター(音楽家や文筆家)は何人ぐらいのファンに支えられるとご飯が食べられるのか(その3)

(その1)はこちら
(その2)はこちら

前回は少し脱線して、技術が発達するとDTPや翻訳はコストとして急落する例をあげて、じゃあ文筆にもそれと同様のことは起こらないのかな?というところで終わりでした。

では、今回は文筆系の仕事にも拡大してみたいと思います。
分類としては、

・作家(原稿料と単行本印税の収入モデル)
・漫画家(原稿料と単行本印税の収入モデル)
・ブロガー(ネット販売の収入モデル+α)


にとりあえずわけて考えてみます。

・作家

<原稿料>

作家の原稿料の場合を考えてみよう。原稿1枚が2千円〜5千円程度(もちろん人気作家なら1万円以上するでしょうけど、、、あ、はるか昔、パソコン雑誌業界がまだ華やかで原稿料も高かったころは、20代の私が書いても雑誌1ページ3万円とか原稿用紙1枚1万円以上とかすごいことになってましたよ!昔は良かったなぁ、、、)だと考えると、たとえば文芸雑誌に2、30ページ(原稿用紙50〜70枚程度)書いて10万円〜35万円程度の原稿料となる。これだけでご飯を食べるのは苦しいけど、そういうのが月1本あれば生活のベースにはなるって感じでしょうかね。もちろんそういう連載を持てること自体が少ないと思うので、文字数レベルで解体してみると、1文字5円から13円程度で、4000文字程度の原稿が月に5本あれば10万円〜25万円ってことである。
これが雑誌系のフリーライターだと文字数よりページ単位のお仕事で1ページ1〜2万円あたりではないだろうか。16ページくらいは月あたりにほしいということになる。

ここで重要なのは、その原稿は依頼主が買うだけで、その先のファンの数は見えないこと(もちろん、人気がなければ原稿依頼自体がないでしょうし、人数が少ない方が原稿料単価は安いでしょうが、それはファンの人数に比例するほどの違いではない)。つまりは演奏家のように客数の多寡が収入に直結はしてないこと。

そこで少し脱線するが、これを無理に読者数に原稿料を割り振ってみたらどうだろう。1文字10円の原稿料を支払って買われた原稿がたった1000人の読者しかなかったとしたら、読者は1文字1銭の金をかけていることにならないだろうか。これが10万人の目に触れたならその100分の1ということになる。なんだかほとんど読者はお金をかけずにその原稿を目にできているような錯覚にとらわれないだろうか?(実はこのボリューム差の視点については、別項で論じたいと思っている)

<書籍>

書籍の印税はまさに買う人の人数が収入に比例する。つまりファンが多いほど収入を期待できる。人気のない作家はそもそも書籍を出してもらえないでしょうが。
とりあえず出してもらえるとした場合、印税が8〜10%(新書だとさらに低いこともあるらしいけど)とすると、定価1500円の本で印税は120〜150円
たとえばこの本が原稿用紙300〜400枚程度でできているなら、これを原稿料に換算すれば60〜200万円得られている分量であることを思えば、本が5千部から1万5千部売れないと、原稿料と同じ収入を印税では得られないことになる。これは文学系であれば今の時代、けっこう厳しい数字ではなかろうか。

本を買う人というのは絞りにくいけれど、すごく乱暴に仮定してみたい。
作家自体のファンもいれば、作家の名前を聞いたことある人、ジャンルとして好き、といった多様さの中で、大きな集団を仮定してその10%が購入してくれるとしてみよう。すると、10万人規模で名前は聞いたことあるというレベルの認知されてないとこれだけ書籍は出せないということになる。。。
原稿生産量が年800枚で、書籍年2冊でそれぞれ1万部出たとして、400万円〜700万円の収入になる。このラインをクリアできてる作家ってどのくらいいるんだろう?(原稿だけで収入を得るのがやはり大変なわけですね。。。

小説の場合は、その人の大ファンという密接度よりも、小説が好きで作家の名前をある程度知っていて好みが一致するかというやや緩さのおかげで収入構造がなんとか維持されているといえるのかもしれない。
これを見れば以前紹介した、森博嗣氏のように年間平均して、それも原稿料、印税中心で年間7、8千万円稼ぐ人のすごさがわかる。つまり年に10万部以上売れる本が5、6冊は毎年維持されているということだから。。。
新書のような回転数が激しく、書き下ろしが多く、さらに単価も千円以下というものだと、さらに大変だ。
本体750円で印税8%として1冊あたり60円。
10万部で600万円である。新書だけで生活するのはよほど売れっ子でないと無理
ですね。。。

・漫画家

漫画家の場合も簡単に触れておく。漫画家の特徴は原稿料が連載の有無で大きく左右され、単行本で収入に頼りがちであること、ヒットの部数が他の書籍より多いので少しのヒットで十分な収入レベルにはなる、ただスタッフに人数がかかるとその経費が大きくなることだろう。

<原稿料>

1枚4000円〜10000円あたりが安いほうだと思われる。
作家の原稿用紙2枚がマンガ原稿1枚と同じとすると、相当マンガが安く感じられる(もちろん人気のある人は2〜5万円(そういえば、佐藤秀峰は3万5千円と自己申告していたと思う)あたりだし、手塚治虫は10万円以上だったというし)。
安い原稿料の人は月に30枚書いて12〜30万円ということになる。1人で全部書いているならこれはベースになるがアシスタントやら資料に出せないよね。。。
4ページや8ページを4、5本は最低持っているか、30ページの月刊の安定した仕事は最低限ということになる。
まぁ、実際はイラストなどワンポイントの仕事も受けて補うわけだが。

<単行本>

マンガの場合は、小説に比べるとほぼ一桁多い部数が出ることが、漫画家の収入構造を決めてると言ってよい。原稿料と年間5万部の単行本が出て、個人の漫画家の最低限の生活基盤になるといえるだろう。ただ、漫画の場合はある程度の連載のヒット作であれば、10万部が年間2、3冊程度出ると考えれば原稿料と合わせて2千万円程度の収入になり、そこから経費、アシスタント代などを十分だす余裕があるだろう。この大きな差が単行本によって出るのが漫画家の収入構造の特色。
もう一つ、最近で考慮すべきは電子配信コミックである。ネット小説同様、電子配信のみでダウンロードするマンガを書く人々というのも市場としては大きくなっている。ただ、ここの収入はマンガの単行本を一話単位で分けて収入を得るようなものである。原稿料は大差なくとも、単行本ではなく、その単体あたりのファイルに単価と印税率が設定されるわけである。ただし印税率は書籍より高く15〜20%程度らしい。
ファイル1個(十数ページ)で40円とすると印税は6円。月に1000や2000人がダウンロードしてくれても1万円程度にしかならないわけである。電子配信専用のコミックで月に1万ダウンロードを超える作品がどれほどあるかはよく知らないので、なんともいえないが、月に30枚、あとはそれの配信ダウンロードなんていう人は月収20万円を確保するのがやっとではないだろうか。

ファンの数という視点から見た場合、漫画はまさにファンのボリュームの大きさで収入構造が支えられているといえる。作家よりも漫画家の方が認知度がある程度高く、ファン層もコアだと勝手に仮定すると、売れる部数程度の熱心なファンとその10倍のボリュームの認知者層を確保するのが大事なように思える(人気作家になれば、そこに映像化、グッズなどいろんな付加があるので、小説よりも収入曲線はファンの量に指数関数的に作用するといえる)

・ブロガー

最近どこかで見たのだが、書籍出版系の人がnoteのような直接販売を脅威と受け取っている、というのがあった。つまり、書籍になる前に電子的に単体は安くとも売られる文章コンテンツが書籍販売に影響を与えるかということである。
そうはいっても、森博嗣氏のWeb日記は誰でも無料で読めるのに、書籍化しても数万部は売れるわけで、書籍でないと、または書籍になっても読む人もいるわけだが。だから純粋な脅威になるとするなら、Web上でしか手に入らなかったり、よほど情報の速さが重要な場合に限られるかもしれない。
この先、そのような市場がnoteを発端にどの程度広がるかはわからないが、このようなプラットフォームでコラムや小説を売って収入を得る人は確実に増加するだろう。
その場合、どの程度のファンや認知が必要なのだろうか。
イケハヤ氏が先日月に35万円くらいはnoteで稼げると書いていた。イケハヤ氏は400円程度でコンテンツを売っているので、月に1000件購入があればよいわけである。もちろんコンテンツは月に1つということはなく何点も書かれるわけだから、そのコンテンツによって買い手が分散することも考えればきっと1000人程度の固定ファンが月に1個気に入ったコンテンツを買ってくれればよいわけである。実際、イケハヤ氏のnote情報のフォロワー数は2500人程度なので、フォロワー外が多少あるにしても、3割程度が月1回固定客でも成り立つ商売といえる(400円という価格は相当高いのだが)。
noteの場合、現時点では相当な有名人でもフォロワーは4000人台あたりなので、そのフォロワーが相当の強いファン心理を持っていてくれないと現時点では成り立たないともいえる。これがフォロワーが数万人、コンテンツは100円となれば、その形で別の収入構造はありうるだろう。
もし、100円だと月に3000件以上コンテンツが売れてくれないとそこそこの収入にはならないので、1万人以上はフォロワーがいないとダメな感じがする。
(ちなみには、私は現在900円収入を得ているのであるw すごいな、9件も金を払った人がいるってのは、、、

ここで気にしてほしいのは現時点のnote上では、4000人台あたりのフォロワーが多いあたりというのが、(その1)で引用した、人がなんとか知ってるかものグループの限界3000人という値を少しを超えたあたりだということである。noteのような直接(ある種対面のように見える)購入するシステムではこの数値あたりに一つの敷居があっても不思議はないと私は思うだった。

ここまで、そこそこマイナーな音楽の演奏家、作家、漫画家、ブロガーあたりで、最低限ご飯を食べるためのファンや認知者のサイズをすごく大まかに見てきた。
このような限界数値が小説や学術書の最低部数であったり、ブロガーのファン、音楽家のファンの数のようなものにも適用できないだろうか。強引に結論めいたものをつけるとするなら、演奏家やブロガーのように普段からも聞き手、読み手との接触度、対面性高そうな分野は数千人という顔が見えるサイズあたりを境目にご飯が食べられるラインができており、一方で作家や漫画家はそんな対面性とは無縁なサイズでないと職業にならないようだということだ。
ある程度のファンという見方からすれば、演奏家やブロガーのサークル(千のオーダー)よりも、作家のサークルは1桁大きく(万のオーダー)、漫画家はさらに1桁多いくらい(十万のオーダー)でないと成り立ちにくいといえばいいか。
逆にいえば、このオーダーを最初の目標としてマーケティングすればよいし、このオーダーに応じた効果的な方法っていうのもきっとあるのではなかろうか。
というのが、私のとりあえずの結論(になってるのかな??

さて、実は、この論を立てる時に、もう一つすごく興味を持ったことがある。
演奏会を聞く、小説やマンガを買う時の対面性を読み手や聞き手は少し感じているけど、実際は一対一ではなく、読み手や聞き手はたくさんいるので一対多のはず。そして人気があるほど多の方のボリュームは増えていくので、個人は希薄化されている。この関係性がコンテンツへの愛着であったり、逆に希薄化する故の無責任さ(適当なことがいえる、叩ける)につながるのではないかということ。(まぁ、少数しかファンがいなくて、その中に粘着なファンがいて往生するということもないではないが)
でも、これについては、別項としてまた考えてみたい。。。

ということで、これについてはここでおしまいです。

(了)
ここで本文は終了です。
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