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クリエイター(音楽家や文筆家)は何人ぐらいのファンに支えられるとご飯が食べられるのか(その2)

(その1)はこちら。

技術が発展するとあっという間にご飯が食べられなくなることがある事例(もしくは私の経験)

前回は、音楽家がどの程度のファン層を持てば、演奏家として最低限やっていけるかを簡単なモデル(聴衆1人あたりの利益とファンがどの程度の頻度で演奏会に来るかを仮定すること)で算出してみました。
とりあえずの結論としては聴衆1人あたり千円の利益を出せると仮定して、最低限聴衆を一月あたり300人、ファンとしてはその5、6倍の1500〜2000人持てばよいのではないかというものでした。

今回は少し話はずれますが、私の昔話から入っていきたいと思います。ちゃんと文筆系の話につながりますし、以前書いた「人文系不要論や人文書不況についてつらつら考える」や「英語または外国語ができるとは(最終回)」にもつながる話です。

「テクノロジーが雇用の75%を奪う」というベストセラーが出ていたり、よくネット上の記事でも将来なくなる職業といった話題が出てきます。
テクノロジーが発達し、みんなが使うようになることで技術の優位性がなくなることもいっぱいありますし、それですでになくなった職業だっていっぱいあるでしょう。そこら辺りを文筆系でご飯を食べるには、というのとつなげて考えてみたいのです。

私が大昔、コンピュータを使ったお仕事を始めた頃には「文字打ち」という仕事がありました。つまりワープロで手書き原稿を打ち込むお仕事ですね。当時はまだパソコンのワープロソフトは黎明期で、主にワープロ専用機が活躍している時代でした。それもポータブルなものでなく、富士通オアシスに代表される大型のレイアウトもできるワープロ専用機で100万円以上するような代物です。
この時代はレイアウトなしで文字打ちするだけでも一文字1円以上していました。今でも多分あると思いますが「日本語ワープロ検定」ってのがありました、その1級を持っている人はそれだけで十分ご飯を食べていけるような時代です。たしか、1級だと10分に700字だか800字の原稿をほとんどミスなく打つことが要求されていたと思いますが、さっきのレートだとそのスピードで打てさえすれば10分で800字打って800円から1000円だったわけです。
まぁ文字だけひたすら打ち続けるのはそれはそれで大変なので3時間程度が限界なのですがそれで1万数千円稼げてしまうわけです(繰り返し言いますが文字を打つだけですよ)。さらにこれをワープロでレイアウトもするとなると、そこにさらに倍以上のコストがかかるわけです。
そんな相場がワープロソフトの普及で急激に崩壊しました。一文字1円を割り込んだ後は、すぐに50銭になり、30銭になった頃には、文字打ちなんてやりたくないよねぇ、みたいな世界になってたようです。その頃には文字打ちだけする人は、主婦の小遣い稼ぎレベルになり、ワープロでお仕事をする人は文書のレイアウトをすることで何とかお仕事をしている状況になりました。
そして、それでなんとかなってた直後に、今度はパソコンのワープロソフトで文書のレイアウトや十分なんじゃない、という流れがやってきます。

ワープロソフトはパソコンで出始めた当初はまだ使いこなせる人が多くなかったので、社内報であるとか社内用カタログといったものは外部のお仕事だったわけですが、それが日本のバブルが終わって、経費も節減する方向になり、ワープロソフトでそれなりの見栄えの文書が作れるとなった時に、ワープロ職人は絶滅への道を進むことになりました。ちょうどこの時期はある意味、二極化した時ともいえます。ちゃんとしたDTPソフトでレイアウトもきちんとしなければならない仕事とワープロソフトで十分な仕事ですね。
もちろん、DTPの発達時にも大きな問題はあって、それはかつての活字文化でのレイアウト技術が継承されず適当になってしまったことです、が、これは今回のお話とは別なので置いておきます。
当時、同時に大きな波を食らったのが写植業者ですね。これも機材にコストがかかるわりに、あっという間にワープロソフトやDTPに仕事を取られて絶滅危惧種になってしまいました。でも、私の知り合いにもいますが、粘って続けた人は、今でも僅かにマンガの写植打ちなどの仕事をする人が希少種になったおかげで、仕事が集中してそれでご飯が食べられる、という絶滅危惧種ならではの生き残りをしているようです。
ワープロ専用機世代から仕事を奪ったDTPですが、これも当初は1ページ1万円+データ入力代金レベルを最低ラインにお金を取れたのですが、今は相当淘汰されてしまったのではないでしょうか?

もう一つ、自分が関わった世界で同様のことを言えるのが産業翻訳です。私の場合はセキュリティソフトウェア系でマニュアルの翻訳やソフトウェア内部のリソースの翻訳など内製で自分でもやったし外注業者ともいろいろお付き合いしました。その翻訳コストも翻訳管理ソフトや翻訳効率化、グローバル管理などによって影響を受けた世界です。
十数年前は英語1ワードを翻訳すると、すごく高く取るところでは50円程度していました。これでいくとA4サイズ1枚程度で2万円くらいします。さすがにそこまで高いところには出したことないのですが、私が付き合っていたところで25年〜30円でした。大部のマニュアルを新規で翻訳してもらうと翻訳だけで200万円、さらにレイアウト付けて倍近い感じ。
そんなところへある会社が営業をかけてきました、大学翻訳センター、あのDHCです(化粧品やサプリメントでなく、ちゃんと本業の営業だったわけです)。なんと1ワードは15円。安い理由は大学生を使うからなんですけどね、、、で、トライアルをかけたらひどかった。。。産業翻訳の場合、人間の部分でのコストカットはもろに能力に関わっているのでしたw

でもこの15円という相場はその後近いうちに当たり前になっていきます。翻訳管理ソフトで一定のグロッサリーを作り、似た文章などは自動的に以前翻訳したところから持っていくといった形で効率化されたためです。さらに外資系で多ヶ国言語対応している場合は、それを集約することもできるため、さらに安く抑えるわけです。つまりそういうシステムに対応している翻訳会社が有利に安めに仕事を取りに来る世界になりました。こうなると翻訳者も日本語としてわかりやすいように翻訳するようにではなく、その翻訳管理システムで用語や構文管理がしやすい形に翻訳するようになるんですよね。。。つまり、文章としてのクオリティは下がる。現場としては日本語がちょっと変なんだけどな、なんてのを出したくないわけですが、企業のコスト管理としては安い方が優先するわけです(そして、少し内幕を言えば、言語表現にすごく過敏なのは日本人だけで、他の言語では圧倒的にクレームがでないのです)。きっと、みなさんもOSや外資系ソフトのメッセージ表記などで、なんだよこれ日本語かよ、みたいな変な日本語を目にすることがあると思いますが、それはこういったユーザーでなく内部の管理システム側に向いてお仕事をみなさんしているための弊害なわけですね(あと、最近だと日本で管理せず中国あたりで安く言語管理してることもあるので、ネイティブでない人が日本語チェックしてることさえあるので、少々変でも無問題ということも、、、)

それでも産業翻訳は翻訳側が得られる収入としてはまだ恵まれている(相当安くなってますが)かもしれません。1ワードあたりといった約束がありますから。それにソフトウェアでなく、特許や法務といった専門性の高いものであれば、翻訳管理してどうこうできるものではないですし、その度ごとのものになるので、十分なコストをかけてもらえると思います。

で、長々と書いてきましたが、これに対して、人文書や文芸書の翻訳はどうでしょうってことです。さらにワープロの文字打ちではないですが、今の原稿書き、フリーライターはどうでしょうって話ですね。。。

人文書や文芸書はおそらく今ではワード単位で翻訳することは少ないでしょう。1冊でいくらという感じで、さらにわずかな印税で、という感じではないでしょうか。もちろん、ハリー・ポッターシリーズのように予想外の大ヒットですごく儲かることもあるかもしれませんが。そのようなコストをかけてもらえない人文、文芸翻訳業界には先があるのか、というのは重大な問題です。正直、相当知られた翻訳者であってさえ、気持ちの半分以上は使命感であったり、信念で翻訳してくれていて、半分ボランティアのような形で日本の優れた翻訳文化はなんとか守られている、といっていいのではないでしょうか。それをどうやってサポートしていけるかという課題があります。
その一つの解決方法は大学出版局のようなところがもっと力とお金を持てること、といった方策なんでしょうけれど。。。大学も株式会社化している現在、日本では先行き暗いとしか言えないのが残念です。この翻訳業問題については、機会があればまた書いてみたいと思います。

で、次回に直接つながる文筆業においてもコストの暴落は起きてますよね。それこそワープロの文字打ちが暴落して主婦の小遣い稼ぎになったように、フリーライターの相場は下落傾向にあり、ネット上のWeb記事の執筆料金なんて文字を打つだけと変わらないんではないかというレベルになってるところもありますよね。そんなある意味、悲惨な状況の中で、文筆業ではどのくらいのファンがいれば執筆者は成立するのか、というのが次回のお話になります。
音楽家の場合の2千人程度のファンがいれば、に相当するボリュームがどの程度違うのか。。。

乞うご期待。

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