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クリエイター(音楽家や文筆家)は何人ぐらいのファンに支えられるとご飯が食べられるのか(その1)

ファンがいるということ、それを職業にご飯を食べることについて

以前、SNSで話題にしたことなのだが、特にクラシック音楽の、さらにいうと私の関心としては古楽や現代音楽のそれほど大規模な演奏会は開かない人々が、演奏会である程度収入を得ようとすれば、何人程度のファンまたは客に支えてもらわなければならないのか、というのが気になり、それをうまく数値化できないかなと考えた。気になったというか、それで生活するにはどのくらいの人を必要とするのか、もしそれが集まらないなら演奏家は副業、兼業しながらでないとやっていけないわけで、長期的にはなり手がなくなってしまうという大問題につながるし、他の方法を考えないといけないという展開もありうる。
さらに音楽以外、小説家や漫画家、ブロガーがnoteに書いた記事やブログ記事を売るとしたら、のようなものとも比較してみたら、どのような結果が出るだろうという風に考えが膨らんだ。

音楽の場合、演奏会と録音があることを思えば、文章書きの場合は単体の原稿と書籍という対応になりそうだ。マイナーな場合は録音や書籍が出にくいという点でも対比できそうだしね。でもとりあえずマイナーな演奏家で録音収入はちょっと置いとこうか。。。

まず、クラシック音楽の演奏家が演奏でどの程度収入を得られるかを簡単に考えてみる。
前提としては数人以内の演奏グループ、またはソロ、デュオ規模(古楽や現代音楽の室内楽規模止まりのコンサート)を考えて見ようう。
たとえば、(突然大きなところから入っちゃうけど)サントリーホールの大ホールを1日借りると340万円といったあたりがホールの施設利用料としては上限だろう。たいていの大ホールは1日200万円以下で借りられるだろう。
すごくざっくりした計算だが、2000人のホールで75%チケットが売れるとする。4000円の演奏会なら、

4,000x2,000x0.75=6,000,000

チケット収入は600万円
練習期間の費用、宣伝、雑費にいくら使えるかだよね。200〜300万円残すことは可能だろうか?でもこれだとちょっと厳しいかもしれない。ソロコンサートだったとしても、これを年に数回やって演奏収入1000万円ってことだから。
つまり数人の演奏グループで収入を大ホールで確保する5、6千円以上のチケット代金はとらないとダメっぽい、、、

違う観点から見てみよう。
ホールの規模は関係なく、ホールを借りると客席一人あたり一定の経費をかけられる(つまり規模の大きなコンサートほど比例して経費をかけられる)として考えてみる。

つまりその場合、
収入 P
座席数 N
チケット平均価格 T
一席あたりの経費(ホール使用料含む) K
チケットの売れる割合 Q (0<Q<=1)
とすると
P = N (QT - K)

ホール使用料は規模に関係なく1席あたり500〜1000円かかるというのを基本として考えてみる。(大ホール2千人規模で1日200万円、石橋メモリアルのような500名規模で1日40万、近江楽堂のような80名規模で8万円程度だからね)。
さらにその聴衆1人を集めるのにかかる経費を500〜1000円としてみる。(100人のホールでの演奏会なら5〜10万円、2000人なら100〜200万円経費をかけられるとする)
チケットはまぁ頑張って75%以上は売りましょうってことにする。
すると、

**P=N(0.75T-K) (Kは1000〜2000)

100人のホールでチケット代4000円で
Pは10〜20万円
500人のホールなら
Pは50〜100万円**

きびしいねぇ、、、ソロと伴奏の2人でも。
小さなコンサートをする人がチラシから何から全部自分で作るのも当然ということがわかる。
ただ、ここでわかるのはたとえば、ある2人組の演奏家がいて、経費を引いた純利益として聴衆1人あたり1000円程度(経費は抑え気味ということ)を期待できるとしたら、1ヶ月あたり300人の聴衆を持てれば、30万円程度の収入になるということである。では、これを維持するにはどのくらいのファンがいればよいということになるだろう。
ファンといっても、その奏者のことを知っていて興味を持ち、コンサートにいってもよいかなと思っている程度。
平均して5、6回に1回はチケットを買ってくれるのをファンの定義としておく。それだと、1500〜2000人程度のファンが必要ということになる。これは現実的な数字だろうか?
年に6回(つまり2ヶ月に1回)コンサートして、それがキャパシティ300名程度で、ファンが年に1回はチケットを買ってきてくれれば成立するってことなんだが。。。
これでも年収300万円レベルなので、これを補うのはクラシック音楽場合はやはりレッスンするとかになっちゃうのだろうねぇ、という現実がわかるわけであるよ。

とりあえず、クラシック音楽の演奏会でモデルを作ったけれど、たとえばロックバンドとかで売れてなくて、ライブハウス規模の人たちだってほぼ似たようなものだと思う。クラシック音楽と違うのは、回数をこなせるかわり一回の収入はさらに薄利だということ。ただファンの人数と考えれば似たような規模に落ち着くのではないかと思う。
そういう意味で、ここで私が気にしたいのはファン層として2000人程度を持てるか、ということと、この人数規模だったりする。

阿部公彦「文学を<凝視>する」には、長谷川一「出版と知のメディア論」から、明治時代の読書人は3千人程度であり、その読書人階級が日本のエリート層の基盤をなし、知識階級として教養主義的なものを生み出したという話を引用しつつ、3千人というサイズが一つの大きなグループがなんとかお互いに顔をギリギリ見ることができるサイズではないかと指摘している。阿部氏の本では、その延長として雑誌「英語青年」が3千部で維持できなかったこと、英文学会のサイズがその程度であることが示され、このサイズがグループ内のお互いが知り合える限界、公的な面と私的な面とがグループとしても両立する限界としている(つまり私的な繋がりも存在するグループをとしての英文学会はこのサイズで維持できるが、雑誌のようなよりオープンなものは維持できない)。

上で挙げた演奏家が細々とでも演奏家としてやっていくファン層の規模が2千人というのは、この規模に近いものとみてよいだろう。なんとなく繋がってる感もあるサイズとしてその最大限まで活用したファン層を作ることが演奏家を支えるサイズということ。

もう一つの数値も導入しておきたい。それはダンバー数だ。最近SNSのような広がったつながりの中でしばしば話題になるけれど、個人が友達として持てる人数は150人あたりが限界ではないか、というのがダンバー数だ。顔と名前がすんなり一致する限界とも言われる(先ほどの3千人の方はそれよりもゆるく顔を見たことあるなぁ、聞いたことあるなぁレベルといえばよいか)。もしかしたら、noteで記事を買ってくれる人(それも頻繁に)とか、古楽や現代音楽のコンサートで足繁く通ってくれる客や熱心なファンとして告知したりプロモーションしてくれる人々の規模がこの値あたりといってもよいのではないだろうか。一方でまぁ知ってるし、気が向いたときには買うかもしれないし、聞きにいくかもしれない、というサークルが3千人(もいればいいなぁ)と考えてみたらどうだろう。

考えてみたら私のツイッターのフォロワー数は5千人くらいだが、企業や有名人とかをはずせば3千人あたりを超えたあたりなのかもしれない。ちょうど、なんかアカウント名も見たことあるなぁという集団としてはちょうど限界あたりのサイズにいるのかもしれない。

ってことで、これと同じようなことを、文筆家やブロガーの収入モデルにおいてもやってみたい、というのを次回としてみたい。それらの情報を総合して、物をクリエイトする人がどのようなサイズにアピールすることをまず考えればよいか、またはその人たちとどのようにコミュニケーション(一対一であったり、一対多であったり)を取るのが効果的かといった話につなげられたらいいなと思っている。

なんか、これも続きものみたいになっちゃったなぁw
きっと次回か長くても3回で終わると思うけれど。。。

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