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5年目の3.11を前に考える

あの大震災から明日で5年です。
5年というのは一つの単位として区切りとして重く考える人も多いでしょう。

私の中では21年前の阪神大震災も体験としても、その後の生活という意味でも大きな影響がありました。
京都にいて大阪の専門学校で教えていた時期なので、早朝にすごい揺れで目が覚めたら目の前を棚の荷物の入った段ボールが平行移動して吹っ飛ぶのを目撃しちゃったし、、、教え子やら同僚には家が壊れた人もいっぱいいたし。ビルとか裂けてるところがあったし。。。
神戸のポートランドにあるコナミの音楽スタジオと仕事する話が立ち消えになったし、、、これが音楽を仕事にしなくなったきっかけといってもよいかも。
あの時の衝撃に比べると、千葉にいて東北の大震災の揺れは、阪神大震災の時よりは大したことではなかったし、その後の大変さも思ったほどでなかった、または少しは冷静でいられたとも言えるかもしれません。。

それでも、私は今でも計画停電の時に、近所の歩道橋の上や、自分の住むマンションの上から、真っ黒になっている街を見たり、遥か遠くの停電区域になってないところとの明暗の差は覚えているし、家の中であまり電灯をつけちゃってるのに気づいた時にはこんなにつけてもいいのかな、と、ふと思うことがある。

震災から5年経って、私がもっとも気になることは東北を中心としてハードウェア、ソフトウェアともにどこまで復興したか、そしてこの先の復興の道筋とスピードです。
もちろん、原発事故の後処理も重要だろうけど、明らかにそれ以上に復興計画がどのように進み、実際は思ったほど進んでいないことについての報道が少ないような気がする。

東北は住めない土地とか言っているようなトンデモな人々は別としても、明らかに東北に対する投資を伸ばせないことは相当深刻な問題だと思う。
阪神大震災は関西の主要都市に相当のダメージを与えたけれど、復興のスピードはここまで遅くなかったように感じる。この差は都市部と地方という違いのせいなんだろうか?
それとも、国や自治体だけに頼らず、地場の企業や経済体自体が相当遮二無二復興しようとしたせいなんだろうか?
でも地方であるならだからこそ、地場の経済力が非力な分、国や自治体に頼らざるを得ないはずで、そこのパワーのかけ方がやはり甘いんじゃないかとしか思えない。

もしくは、こういう可能性はあるだろうか?
当初の被害推計と復興予算が膨大になりすぎて、それを適切に賄えないことがわかって、逆にうまく予算が組めなかったといったことがあったんだろうか?(そこにはもちろん原発処理、廃炉といった長期のものも含まれる)
被害が巨大なだけにお手盛りというわけにはもちろんいかないだろうけど、必要に応じて出していく、というシステムであった方が、もっと適材適所にお金が回ってもっと早く復興できるという可能性もあったように、今になってみると感じるんだけれど。

日本の経済自体がやや不景気なままで不安定な状況での復興は大変なのはたしかだし、東北だけにコストをおそらくかけてもうまくいかない、現状の日本だと全体がある程度底上げできる要素を確保しないとだめなんだろうとは思う。その要素がいまいちない(もしくはめいかくにできない)のが一番復興を遅らせている原因かもしれない。

そういう観点から見ると、乱暴な言い方にはなるけれど、いまだにまともなデータの読み方(それはある意味科学的な、という意味で)ができずに単にひたすら健康被害を危惧し続ける人々というのはやはり阻害要因なんじゃないかという気がしてしまう。もちろん放射能問題はすごく長期の大きな問題だし、それだけにデータが少ない、不安要素のあることだけれど、悪い可能性しか語らない、それも疫学データとかもちゃんと読めないで、っていうのはやはり復興の邪魔に思えてしまうんだよね、、、(個人が気をつけるのは全然構わないんだけれど、というかそれは大事なことなんだけれど)

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