戦争を知らない私たちにとっての保守と革新

こういう比較はいけない(様々な条件の違いで直接被害を比較できない)のだけど、東日本大震災での死者が2万人、東京直下地震での火災死者が現状だと1万人強に上ると予測されているのに比して東京大空襲での死者が10万人って、自然より人間の方がよほど怖い、と思ってしまう。。。

「戦争を知らない子供たち」が書かれたのが1970年ですが、これは戦争世代から一世代後が書いたと考えれば、今の私たちは2世代後以降になりつつあるわけで、ますます遠い世界になりつつあるよね。。。

そういや、プロ野球の巨人の賭博問題で渡辺恒雄が顧問を辞任したりしているけど、読売新聞のトップは元共産党だったことも有名だし、戦後には大量の転向右翼とよばれる人々がいて、その人達には保守系を牛耳る立場になった人もけっこういることはよく知られている。ここで気にしたいのは生き残るため、勝ち馬に乗るためなど様々な理由で転向したことへの非難ではなく、つまりそうするほど苛烈な環境が戦後すぐ(それは日本だけでなく、たとえばアメリカのレッドパージとか)にはあって体験した人々がいたということに注目したい(その結果、転向したりしたかどうかは別として)。

一方で戦後すぐというのは、保守系も自省する時期であったのも確か。
たとえば保守系最大の言論人(そしてだからこそ敗戦後に非難の矢面に立たされた)徳富蘇峰なんかは、晩年にかけて自分の考えがどこが間違っていたかを突き詰め続け、軍の無能さに呆れつつもついには天皇制批判にまで至ったりさえした。これだって、それだけの経験があったからこそ(正しいかどうかを別として)考え続けたことといえる。

このようなことは別に太平洋戦争という経験だけに限らない。
たとえば、大江健三郎、江藤淳、石原慎太郎、谷川俊太郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、曾野綾子、羽仁進というメンバーを見てどう感じるだろう。なんか今のそれぞれの発言を考えると思想的なつながりなんて全然なさそうだよね。。。
これは1958年に若手文化人が集まった「若い日本の会」のメンバーで、警察官職務執行法に反対してデモにそろって参加したりしている、と知れば、この後の思想的な分裂具合を考えれば面白いのではないだろうか。
この時代にとっての苛烈な体験は、戦後のアメリカ支配体験と60年安保になる。
上記のメンバーたちも、支配されアメリカナイズしていく日本、敗戦国民扱いされる日本といった経験を通して浮かび上がる愛国心が、反米保守、親米保守、親ソや親中左翼へと、道が分かれていく。そう考えれば、その後どんなに考え方が分かれていようが、これもそれだけの強い体験の元だと理解できる。

このように考えてみたら、今の私たちには、思想的に大きく分かれるような強烈な体験なんてないことに気づく。
何が私たちを保守にしたり、左翼にしたりする、強い要因になりえてるんだろうか。

今度はある引用を見てもらおう。

「近ごろ「伝統」とか「日本的」といったことばが妙に素直に受け入れられているように思える。ぼくなどはそれを悍ましい風潮、なにか不気味な傾向であるように思えてならない。たとえば、若い作曲家連中が邦楽器をすこしの疑問もなく扱い、「日本的」なものと西欧との新しい結合だなどと書いていたりするのをみると、いったいどうなっているのだろうと、ぼくはそこにグロテスクなものさえ感じてしまうことがある。(中略)グロテスクな感じをぼくがもつのは、単なる心情的な鬱陶しさからだけではない。もう少し別の方向からみたときに、こういった傾向はある危険を伴って現れているように思えるからである。無論、戦時下のように、それが国粋主義的なイデオロギーや急進的なナショナリズムとしての姿をとっているものではないことは、確かだろう。だが、はたして、その「日本」という言葉を再び浮上させている背後になにがあるのか。そのことを考えると、ぼくは他人事として見過ごしえないものを感じる。そして、そこに戦前と同じ状況があるように思えてしかたないのである」

この文章は、まるで今書かれたようにも思える内容だが、じっさいは1978年に秋山邦晴が書いた文章である。
つまりこの当時もそうであり、今もそう感じられることがあるとするなら、世の中には「伝統」「日本的」が言いたい保守的陣営と、それを戦争時の危険性へつなげて考える進歩派陣営が同様に継続対立しているのだともいえる。その状態が、1970年以降からずるずる続いていて、大きな経験なしに世代が変わりつつあるといえばいいだろうか。

本当なら、保守革新関係なく、日本は経済発展の途上で国際平和にもっと強いプレゼンスを持つことができたはずなのに、保守側としては親米で守られたまま、革新側は憲法9条周りを平和教の呪文と化してしまうことで、何もできないままバブル期に突入し、その後の失われた20年を経験することで、やっとどうするのかと気づいたような状況なんじゃないだろうか(世界はその時に、冷戦終結やベルリンの壁崩壊で、一時期の平安というか、未来への希望を持っていて、そこに日本は手を出すことができたのに、自分たちのバブルに浮かれてたってわけね)。

まぁ、不景気は国を内向きにして保守傾向を強めることになっていくという変化はあるけれど、40年近く、思想的に左右とも何もしないできたもんだから、今の時代は、ネットレベルの情報で振り回されるネトウヨとブサヨと呼ばれる人々が発生する情けない状況を招いたんじゃないんだろうか。つまり何ら強烈な体験によるバックグラウンドはない、なんか流れてくる情報を読んですべて理解できた!みたいに勘違いし、過去の人々が何を考えたかもよく知らないままみたいな。

正直その意味では、安倍首相が少々こじれてるとはいえ祖父からの思想を受け継いで憲法を変えたいとかいうのはわかっても、ある一定年齢層以下の人々が強烈に左だ右だになるのには、ほとんど理由が見つからないだろうと思う(対外的不安感のような心理的なもの以外には)。

これが平和を貪り、経済発展で一度は世界のトップまでたどり着きかけたけど、そこで国際的なプレゼンスを発揮できなかった帰結だとしたら、ちょっと情けないよね、日本は、、、

(了)
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