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「おめかし」にゆるされる

「おめかし」はゆるしのことばだなあ、と思う。ドアを広く開けてどんなひとでも迎え入れてくれる寛容さがある。完成形がどんなでもいい。他人に認めてもらわなくてもいい。そのときを楽しんで幸福を感じれば、いつどんなときでも「おめかし」なのだ。

これが「おしゃれ」になると一気にハードルが上がる。他人から「おしゃれ」だと思われないといけない、そんな承認のハードルが生まれる。見えない足切りの線がどこかに隠れている気がしてひるんでしまう。

小学生の頃、朝顔のことを「おしろい花」と呼んでいた。

種を半分に割り、中から取り出した白い粉を頬に塗る。
水分を含んだ、かたまりかけた片栗粉のような粉を一生懸命指で伸ばす。
黄色いほっぺが、まばらに白くなっていく。

その顔を鏡で見るとき、子供ながらに頬が紅潮するような気恥ずかしさと喜びがあった。

あれはまさに「おめかし」だったと思う。

「おめかし」は可愛らしく、愛らしい言葉だ。
でも、私は「おめかし」が苦手。
わたしが「ゆるしのことば」と表現するのにも理由がある。

「週末日曜日には家族でデパートに行く」という習慣があった。
朝から、家じゅうがソワソワし始める。

母がクローゼットの奥から一張羅のワンピースを引っ張り出してくる。同じくクローゼットにしまわれたいくつかの靴箱から、ひとつを選んで丁寧に靴を取り出す。クローゼットに掛けられたお香の香りが鼻にささる。

緑や青といった不思議な色のアイシャドーを塗るのが日曜日の母の定番で、その顔に見慣れないわたしは毎週のように驚いていた。

父も、いつもは着ない格子柄のジャケットなんかを着て、ポップな柄のネクタイを鏡の前で締めている。口を出す母のセンスに素直に従い、言葉少なに「デパートファッション」を選んでいた。

当時小学生だったわたしは、日曜朝のその時間が苦手だった。自分も「おめかし」をさせられるのが嫌で、いつも掘りごたつのくぼみにはまってむすっとしていた。

結局、くまのワッペンがど真ん中に付いたくたくたの白いTシャツに、茶色いだぼだぼのパンツを履いていくことにする。お母さんが「本当にそれで行くの?」と言ってくるけど、スカートなんか死んでも履くもんかと思っていた。

私が「おめかし」が苦手なのは、恥ずかしいからだ。
なぜ恥ずかしいか? その理由は3つある。

ひとつは、欲だから。
もうひとつは、慣れないことをやる危うさがあるから。
最後に、自己満足は切ないから。


私は「欲」に弱い。ひとの欲を見すぎるとぐったりしてしまう。
認められたい、愛されたい、尊敬されたい、褒めてほしい、勝ちたい…そういうのにめっぽう弱い。

「おめかし」は、気軽にできる自己表現だからこそ、欲を含みやすい。
専業主婦だった母にとっては、思いっきり好きなおしゃれをして人目にさらされる唯一の場だったのだと思うし、お堅い仕事をしていた父にとっては、誰の目線も気にせず解放される場だったのかもしれない。日常で溜まったものをここで発散させようという両親の欲に、私は疲れてしまっていた。

また、当時の私にとって、安定した日常は大事だった。私にとって刺激は強すぎるし、不安は大きくなりやすかった。だから、スリルやドキドキはできる限りなくしたかった。
だけど、慣れないことをするとどうしても危なっかしさが出る。このあいだ久しぶりに10cmのヒールを履いたらうまく歩けなくてぎこちない歩き方になってしまったけど、同じように週に1度のおしゃれはとても危なっかしく見えた。
一緒にいると落ち着くはずの父と母のことを不安に感じるのはとてもストレスだった。だから、自分だけは極力部屋着を着て、普段通りにして、心の安定を維持しようとしたのだ。

最後に、私の心のいちばん多くを占めていたのが「切なさ」だ。
「誰にも求められていないのになぜ?」
「こんなにがんばってるのに誰にも褒められないの?」
両親に対してそんな気持ちを抱いていた。
純粋無垢な欲が根っこにあるから、なおさら切ない気持ちになる。
両親が大好きだったからこそ、彼らが誰にも認められていないように見える状態が辛かったのかもしれない。お父さんもお母さんもがんばっているのに! そんな思いが切なさを増長させた。



これらが私が「おめかし」を苦手とする理由だ。

いまも「おめかし」を街で見ると、ほろ苦い気持ちになることは正直ある。だけど、頬におしろい花の粉を塗ったとき、私は誰からも褒められなかったけど確かに幸福だった。他者評価に振り回されない気楽さ、他者評価に依存しない自由と自立に憧れ、自分ひとりで成立する喜びを存分に楽しんでいるひとには、素直に拍手喝采してしまう。

「おめかし」はそんなはざまにいまも揺れたり悩んだりしている私の幼さや未熟さをぜんぶ受け入れてくれるから、ゆるしのことばなんだな。



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