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バレエ『春の祭典』と個人的な話

春の祭典、と言えばニジンスキーの振り付けたバレエ・リュス作品。ストラヴィンスキーの音楽だけでもかなり強烈ですね。今日はごく個人的な話を書いています。

バレエ好きではありましたが、バレエ漫画が知識の主なソースで、20歳当時(25年前)はレアな映像を自分で探して見る機会を得るのも難しかった。割と機会があって映像が見られる場合にも、見たいものを見にいくというよりは、見せてもらえるものを見る感じ。そんな時代に、最初に私が初めて見たバレエの春の祭典は、ニジンスキー版ではなく、ベジャール版(1959)とピナ・バウシュ版(1975)でした。大学の表象文化論の授業で毎週コンテンポラリーの映像作品をみていたので、両者を比較して見た記憶があります。

2008年に上演されたマリインスキー・バレエの『春の祭典』

去年、たまたま漫画家山岸涼子さんの牧神の午後を古書店で手に取りました。ニジンスキーの生涯が描かれた漫画で、彼がスターダンサーになったのち、振付家として当時のバレエ界に衝撃を与え、精神を病んでいくまでのお話です。主人公がバレエ・リュスで振付けに取り組むストーリーの中で、賛否両論の嵐となった「春の祭典」が取り上げられており、フォークロア風の衣装を纏い特殊な化粧をした女性ダンサーのビジュアル、通常のバレエとは違うぎこちない体の使い方、が描かれているのを見「春の祭典の原典はこれだったか」と刺激を感じで、色々調べ始めます。

ニジンスキーについては、漫画家有吉京子さんのバレエ漫画SWANにも、主人公がコンテンポラリー修行の旅に出る後半に多く作品解説が出てきます。こちらは主人公たちが劇中で踊る「牧神の午後」がフィーチャーされていて、跳躍のない深い内因表現を重視するバレエを生み出した存在として描かれていたため、彼が精神を病んだことには確か触れられていませんでした。山岸漫画の中のでは、ニジンスキーの葛藤が細かく描かれ、有吉漫画で得ていた知識とギャップを感じました。

初演を最初に再現した1987年のジョフリー・バレエのものは再現度が高いとされています。ベアトリス・ロドリゲスが「選ばれし者」(The Chosen One)を務め、原色際立つ映像、舞台美術の絵画的な表現が目を引きます。

パリオペラ座の映像では、「選ばれし者」をマリ・クロード・ピエトラガラがつとめ、舞台本番とリハーサルの映像には、かなり強い印象を受けました。彼女が繰り出す動きの中に、抽象的なテンポを生み出しつつ死を宣告された者の抗うエネルギーが高まっていく様が表現され、長身のピエトラガラがとても美しかったのと、抑えられた表情と細かな震えや身振りに、しっかりと生贄の恐怖が宿っていました。

ロドリゲスがクライマックスに向けてだんだん疲れてヨタヨタした表現になっていたのに対し、ピエトラガラは死の直前まで出来るだけ抽象的な動きを続け、全力で葛藤し抗い急に力尽きる表現になっていて、これぞ、この物語が追求する本質的な何か、を垣間見た気持ちにさせてくれます。
※パリオペラ座では今もレパートリーになっているそうです。

生け贄役を務めたのは、マリインスキーの現セカンド・ソリスト、アレクサンドラ・イオシフィディ


DVDとして出版されて入手ができるのがマリインスキー・バレエの収録公演。2008年上演のもので、「選ばれし者」はアレクサンドラ・イオシフィディがつとめています。映像として出版されたのが2013年。イオシフィディの生贄は、目一杯動きながらも少しずつ抵抗の体力が失われていく様が繊細に折り込まれていて、こちらも見応えがあります。カーテンコールでのイオシフィディは勝ち抜いた勇者のような力強いポーズと挨拶で、もともとそのような演出フォーマットがあるのかもしれませんが、作品のメッセージを強く押し出し、彼女の意思が感じられ、舞踊と共に心打たれました。

2018年に日本でも上映された映画ミッドサマーもあって、東欧世界の土俗宗教的な風習に注目が集まっていたと思いますが、同じような題材でもあるし、現代社会にも違った形で存在し続ける人間の闇でもあります。ベジャールやバウシュが現代社会に当てはめて表現していた流れもまだまだ続いています。English National Balletが女性への抑圧を題材にフォーサイスが振り付けていました。ストーリーが異なるの選ばれし者役の女性は日本人ダンサーのエミリー・スズキさんでした。映像が公開されることがあれば、ぜひ拝見したいです!!


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