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人と比較するのは悪いこと?

突然ですが、みなさんは、よく人と比較しますか?もし比較するとしたら誰と比較しますか?日常生活で、人と比較するのはもしかしたら半ば強制的にせざる負えないことかもしれません。例えば、自分よりお金を持っている人、自分より偏差値の低い人、自分と同じ時期に入ったが自分より昇格していく同僚、さらには、ツイッター、インスタグラムなどのSNSの普及により、比較したくなくても比較せざる負えない環境に置かれていることが多いことかと思います。それと反対に、世間では「人と比較するのはやめよう。」といったキャンペーンをよく耳にするような気がします。確かに人と比較しなければメンタルヘルスは保てるかもしれません。しかしながら上記のような情報化社会において人と比較するのはかなり難題であるように思います。では、本当に比較することはよくないことなのでしょうか。

自分の研究データから推測するに、結論、「なぜ人と比較するのか」というのが肝になりそうだなということです。少し人と比較する際の分類分けをしてみましょう。まず人と比較するタイプとして、「自分より上にいる人(上方比較)」と「下にいる人(下方比較)」という、誰と比較するかというタイプ分けができるかと思います。二つ目のタイプ分けとして、対比するか、同定するかということも言えそうです。何言ってるかわかりません、とサンドウィッチマンの富沢が突っ込んできているので、もう少し詳しく。人と対比する場合は、人と比べて現在の自分はどうかを考えるということです。一方で、同定する場合、将来、その人のようになるかもしれないと思って、将来の自分の為に人と比較するということです。もちろん他にも人と比較する際の分類分けはできるでしょうが、今回は、この二つの分類分けを使ってみましょう。

自分の研究データを見てみると、どうやらこの二つのタイプ(上 vs. 下、対比 vs. 同定)を使って“健全な比較”パターンと“不健全な比較”パターンというのが見えてきました。まずは健全な比較パターンですが、自分より上の人と比較する場合は将来の自分がそのような人になっていたいと思って比較する(同定)一方、自分より下にいる人と比較する場合は現在の自分の立ち位置がどこかを参考にする(対比)パターンです。不健全な比較パターンは、真逆のパターンです。つまり、自分より上の人と比較する場合、現在の自分がその人より劣っているのだと考える(対比)一方、自分より下の人を比較する場合、将来の自分がその人と同じ経験をするのではないかと思う(同定)パターンです。このようなパターン分けをした中で、例えば自分のデータを見てみると、“健全な比較”をする学生は勉強に対するやる気が高い一方、“不健全な比較”をする学生は勉強に対するやる気が低いというような結果が出ています。なので、健全な比較をしたいところですよね。

では、“健全な比較”をする人と“不健全な比較”をする人は何が違うのでしょうか?それはもちろん一つではなく多くの要因が関係しているのですが、一つの要因として自分の能力、技術に対する考え方が関係しているのだと私のデータが語っています。つまり、自分の能力が努力することで向上できると信じている人は、より“健全な比較”をする傾向があることがわかりました。一方、自分の能力はある程度、生まれ持った才能で決まるのだと思っている人は“不健全な比較”をする傾向があることが分かりました。要は、自分の能力が努力で向上できると思っている人は、自分より上の人を参考にして、自分の能力をどう向上させればいいのかを考え、自分より下に対しては自分のパフォーマンスが最低でも向上しているのだと確認している思考パターンがあるようです。一方、自分の能力は生まれ持った才能で決まると思っている人は自分より上の人をうらやみ嫉む一方、自分より下の人と自分が同じ経験をしていまうのではないかと恐れている傾向にある、ということが言えそうです。

では、人はどうすれば自分の能力は努力次第で変わるんだ、と思えるようになるのでしょうか。そのためには、周りにどういう人がいるかがとても重要です。例えば、親がどう子育てするか、もう少し具体的にいうと、親が子どもの失敗に対してどういったフィードバックを与えるかによって、子どもの自分の能力に対する考え方が変わることが分かっています。例えば、「失敗は今後自分の子どもの能力を上げるための良い機会だ」という考えから発生する親のコミュニケーションは自分の能力は変化しうるんだという子どもの考えをはぐくむ一方、「失敗は現在の能力の低さを示しているだ」という考えから発生する親のコミュニケーションによって、自分の能力は生まれ持ったものなのだと子どもが考えやすいということが分かっています。つまりは、人の能力に対する考え方は伝染するんだということです。今回は親から子どもの話でしたが、クラスメイト、先生、親戚など、他人とコミュニケーションをする機会が多くあります。そういった意味で、誰を自分の周りに置くか、というのは自分が成長していくための環境作りに重要であるということも言えるかもしれません。


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