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城のあれこれ🏯①

あくまで個人的な見解です。

一般的に、お城の正面のことを【大手】・お城の裏のことを【搦手】と言います。

【大手】は、もともとは【追手】の文字から来ており、追手には追撃するという意味が込められており、追手門は正面から攻めてくる敵を食い止め、更には城の外へ出て追い撃ちをかけるという戦術的な意味があったことが語源とされています。

【搦め手】は敵を搦め取ることが語源とされています。

ふむふむ、なるほど🙄

ただ、それは江戸・松江・高知・広島・津和野など江戸時代まで残った城郭なら【大手】・【搦手】はわかっていますが、戦国時代のお城自体はどうだったんでしょうか。実際のところ、分かってないお城のほうが多いかもしれません。なぜなら絵図が無いからです。

じゃあ、絵図が見つかればと思いますが、当時の絵図は見つからないかもしれません、何故なら、お城の内部機密であり、それが知られたら敵に簡単に攻められ落とされてしまうからです。

また、【大手】・【搦手】は城方から見たほうと寄せ手側から見たほうと違うかもしれません。

さらにそのお城に近くに住む領民達が入る為の専用の入口もあったかもしれません。

最近では航空レーザ測量よる赤色立体地図からお城の小さい道など見つかっています😃

少しずつ道が見つかることによって、当時何のために設けられた道なのか少しずつですが、分かってくるかもしれません。また、現地をお城がある場所・あった場所は歩くと道が変に作られています。小さな観察が新たな考えの出会いになるかもしれません。


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