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「ひろの式カタカムナ」神の道 私の実践記録(番外編)

こんにちは。
福豆です。

この『「ひろの式カタカムナ」の神の道 私の記録』は、私が「ひろの式カタカムナ」を実践していることを記録しているものですが、今回は「番外編」ということで、ちょっとした私自身の思いを記録します。

最近の私
最近、ふと、短い言葉が頭に入ってくることが多くなってきてnoteでよくつぶやいている。
その殆んどが、私が自分に対してのつぶやきです。

私が私を観察している?
なんと言いますか、過去の自分を振り返ってみたときに、「あの時の自分の言動とか行動は正しくなかったんじゃないか。」と思うのです。今となっては過去のことはどうしようもないけれど・・・。

そして今は、「今」の自分の行動や言動も客観的に見る自分がいるのです。
今までの自分の常識が常識外れに思えて、即、反省することが増えてきている。
家族や向ける言葉や態度も明らかに以前とは違っている。もちろん気持ちも変わっている。

「ひろの式カタカムナ」をやっていると、日々、自分が変化していくのを実感します。あきらかに違う。
不快に感じることがあっても、わりと冷静に対応している。
私VS私の一生会話していても答えが出ないような脳内会話がだいぶ減っている。

そして、世の中の情報も取捨選択している。
国会議員の不正問題、有名人の私生活やスキャンダル、テレビなどのエンターテイメント番組など、見たり聞いたりすることはあっても、そこに余計な感情は持たなくなった。今までのようにそこに時間を使わなくなったのです。
一日の時間を大切に思うようになっていて、規則正しい生活となった。

今、私に必要なものは「ひろの式カタカムナ」です。
カタカムナの神様の意を理解できれば、正しい生き方をしていけると強く思います。
よく考えると、カタカムナとは人が人として生きるうえで、ごくごく当たり前のことをいっている。けれど、今の私たちはその当たり前のことができなくなっている。そして、今までの私を含め、そのことに気が付いていないのです。

カタカムナをまだ知らない人からしたら、洗脳されているのかと誤解するかもしれません。洗脳という感覚では絶対にないのです。
それはなぜか、カタカムナは相手を支配するものではなく、信じるか信じないかを自分自身でしっかり考えるからです。
一度「ひろの式カタカムナ」に触れてみればわかるはず。

私には叶えたいこと、守りたいものがある。
そのためには「今」やるべきことがあるのです。
そのために私の人生の大切な時間を使いたいと思っています。

番外編を最後までお読みいただきありがとうございます。
それでは次回の更新まで。






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