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「#ひろの式カタカムナ」過去の言葉を思い出し、そして大切なことに気が付いた話し

こんにちは。
福豆です。

今朝、いつものルーティンワークをやっている最中にふと、結婚する時に主人から言われた言葉を思い出した。

その言葉とは。
「結婚して、苦労をかけるけど絶対に食いっぱぐれるようなことはしないからな!」という言葉がとても頼りがいがあってカッコイイと勘違いした
ちなみに食いっぱぐれとは、食い逸れ(くいはぐれ)を強めた言い方で、 「食い逸れ」または「食いっぱぐれ」は、食べる機会を逸するという意味。

私達、なんとお付き合いして3か月くらいで結婚したのですけど、付き合って3ヶ月の頃って一番、気持ちが盛り上がっている時期じゃないですか。
当時の私に主人が言い放った、「これからの人生、苦労の道であるぞ」と宣告されたにも関わらず、昭和チックに「どんな道でもあなたについて行きますぅ」だった。恋は盲目だった。

ん・・・・・・・・・・・・・?
あぁぁぁぁぁぁぁっ! ようやく気付いた。
私よ、よく気が付いた、よくやった!!
結局、今の人生は自分が臨んでしまった人生だったことに気が付いた!!

たしかに、雨風しのげて、食べることに困ることはなかった。むしろ贅沢なんじゃない?と感じる時が多かった。
それは、夫の両親の協力のお陰だからであり、この二人がいなかったら、絶対に食いっぱぐれていたに違いない。

夫の両親は悪気が無いけど、だいぶわがままな性格。日々、わがままな言葉や立ち振る舞いがある。二人にはだいぶ振り回されているけど、よく考えると、いや考えなくても二人の存在があってこそなのだ。

分かっていたのに私は自分ののせいで感謝することを避けていた。
いつしか、私が「我」という蓑をまとい、主人に辛い人生を歩まされていると強く思い込み、実は家族が私の「我」に我慢して振り回されていたのだ。

なんということだ。

結局、身体の整形外科的な不調も経済的な不安も、全ては自分が蒔いた自分の我という種が長い年月をかけてちゃんと花開いてくれていたことだ。
神様の言う通りでした。
「臨んだものを与える」
私は自分の我で、自分は幸福じゃない人生を歩いているという思い込みから、どんどん幸福を感じない行動を自らとっていたのだろう。

子どもは親の行動を見て育つ。
今となって彼らの人生を私が責任を持って修正することはできない。
彼らは自分の力で人生を進んでいくしかない。
これから子どもたちにしてられることは何か。

#ひろの式カタカムナで自分の人生を幸福な人生に逆転させたいと願って始めたことだけど、家族の人生を幸せに導くには私が一番変わらなければならなかったとはっきりと理解できた。

私は自分の人生を幸福にすることだけをずっと考えてきたけど、主人もずっと色んなことを我慢してきたんだよね。
今頃、気が付いてごめんね。
「いつもありがとう」の言葉を必ず言わねば。
いつも言わない言葉を急に言ったら、多分、固まってしまうだろう。

今朝、何気に思い出した昔のことをきっかけに、今日大きな気付きがあった。ここからまた私の内側で変化していく実感がしている。
神様、いつも色んなことを思い出させてくれて、気が付かせてくれてありがとうございます。

#ひろの式カタカムナを始めてから、とても大きな気付きだったように思う。

最後までお読みいただきありがとうございます。
それではまた。









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