蝉がくれたもの
毎日暑い日々が続いています。えんじろうの中では1年で最も暑い日は7月23日とインプットされているのですが、調べてみるとその日は暦の上でも大暑と呼ばれているとか。調べた結果ではその前後も含むような言い回しでした。大暑に対処しましょう・・・なんつって(すみません40代なので)
そんな中、えんじろうは朝7時ころ、とある奇跡に遭遇していました。
ベランダから爆音
突然ベランダから、けたたましい音がしました。それはもう「耳をつんざくような」と言える音。
落ち着いて考えると聴き覚えのある音ですが、その音量で聴こえることが想定外。クマゼミの鳴き声です。
無休のセミたち
毎日毎日一生懸命鳴いているセミたちの聴き慣れた声ですが、ベランダの枠内にいることを確信できる音量でした。それはベランダの囲いに反射することで更に数倍に膨れ上がっています。
慌ててスマホ
えんじろうは慌てて第2の目ともいうべきスマホカメラを準備しました。焦って操作するとミスが頻発するのですが、どうにかまだ鳴いている声を聴きながら動画モードにすることができました。
そしたら一番の難関である窓開けです。網戸になっていたので、それを開けるのですが、衝撃が伝われば即逃げてしまうことでしょう。相手にとっては命がけですから。
泥棒にでもなった気分で本当にそっと網戸を動かし、爆音を前に「抜き足差し足」で外へ。もう危険な網戸を閉める行為はほったらかしにして、そのまま撮影開始しました。
撮影動画
それでは早速、撮影・編集した動画を御覧ください。
恐るべきパワー
えんじろうは知りませんでした。クマゼミがここまで全身を使って、そして最強効率で体の大きさから測れないほどの音量が出せるということを。
すごいなあとは昔から思っていたものの、ちゃんと1匹の音量を1m以内で堂々と聴けるチャンスなんてなかなかないです。大抵は集団ですからね。
音量に波がある
クマゼミの鳴き声は「シュワシュワシュワ」と聴こえるのですが、これは音量の波があるということですね。セミは交尾の相手を呼ぶために鳴いているのだから、効率よく意識に乗りやすいパターンを狙っているということでしょうか。
例のおっかないカミキリムシは、痛みにも慣れがあるので、慣れさせないように噛む力を強めたり弱めたりして痛みを自覚させ続ける噛み方をします。
クマゼミも音圧を一定にしないのは、その声を認識しやすくまた認識され続けやすくするための手段なのではないだろうかと思うんです。
意外と繊細な歌声
さて、動画の後半では4分の1倍速にした動画を用意してあります。
虫の時間と人間の時間感覚はまったく違うもの。えんじろうはそう考えています。だから虫の時間間隔を人間の時間間隔に少しでも近づけるために、スロー再生すると良いと考えているんです。
そうやってよく聴いてみると、2つの音階を往復していることが判ります。心臓の鼓動と同様に、尾の動きも瞬発的なものと少し緩和なものとが交互になっていて、その動きが音程の違いを作り出していることは想像しやすいです。
音階はどうなっているのだろうか?気になったので、動画を再生しながら鍵盤アプリを使って音程を探してみました。すると「ファの音階」付近であることが判明。2つ目の音階はちょうど1オクターブ上のファ。つまり鳴くための動きを1倍2倍と交互にしているのでしょう。オカリナでオクターブ往復をするには結構コツと慣れが要ります。
4分の1倍速のクマゼミの鳴き声からは、繰り返す中での音程のブレがほとんど無く、エンディングの際に初めて全体が下がってゆくことも判りました。リズムもとても安定して保っていますし、なかなか美しい歌声なんだということを知りました。
ああ、愛おしい
もうここまで見ようとしてしまうと、クマゼミが愛おしくて可愛くて仕方なくなりますね。
でも音楽に集中しているときには「うるさいなあ」と思ってしまうんですよね。本当に勝手です。
ただ昨日音楽編集をしていたときには、なぜだかその声が「お前も頑張れな~」といっているように感じられて、返って聴こえていた方が捗るということもありました。やっぱり勝手ですね。
気の持ち方、受け止め方で世界はぐるっと変わってしまう典型例なのかも。
受け取り方が世界を作る
せっかくならば、世界を都合良いように見て楽しく生きていたいですね。
えんじろうの演奏スタイルって、正直「お客様の望むままに」という感じではありません。えんじろうが決めた内容に沿って、粛々と進めてゆく感じ。そこからお客様が自由に感じて自由に受け取ってもらえれば十分と思っています。
そう考えると、クマゼミと対して変わらないと思えてきますね。
基本特定の誰かのためではなく、鳴きたくて鳴いている。それを聴いて気分が良くなると思ってくださった方が、次も来てくださる。これが最高に理想的だと感じます。
だから、興味が湧いた際にはまずは1度、聴いてみてくださいね。
正直えんじろうは、初めて聴く人全員に受ける演奏を目指すなどという傲慢なことはしません。ってかそんな自分が「大変そう」と感じることはできません。それだと長くは続かないからね。
セミのように生きる
僕もセミのように生きる。それでいいんだと思います。
先日玄関前の冷たそうな地面で休んでいたクマゼミも、前の家で多分羽化したてのクマゼミが手に留まってくれたときも、とても嬉しく思いました。
スクープ動画
というわけで、今回はクマゼミさんのスクープ動画の記事でございました。もう2度と撮影できないかも知れない動画ですが、飛来してくれてそこで鳴いてくれた「生きる標本」のようなクマゼミさんに感謝します。
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