何に見えますか?
昨日の話題もあって、これを見たらすぐに「あれ」をイメージされる方も多いのではないでしょうか?
実はこいつの正体、これなのですよ。
クサイチゴの実
クサイチゴの実です。お醤油のお皿の上に乗せて撮影してみたのです。
真っ赤で周りにつぶつぶがあって、たしかにイチゴっぽいです。緑の葉に守られるようにしてコロンと成っている姿が可愛らしいのですが、とっちゃいました(ごめん)
草刈りのご褒美
この間庭の草刈りをがんばりました。手始めなこともあったので、あまり無理しすぎずに5メートル四方程度に収めたのですが、鎌で手動で行うのでこれでも結構頑張ったのです。
そしたら左奥のフェンス付近に、赤い先ほどの実を発見!
昔話のように「これはきっとご褒美に違いない」と都合よい解釈で、貴重な実を介錯してしまったのでした。
甘い鉛筆みたいな!?
食べてみました。
食感は確かにイチゴっぽく、つぶつぶした感触があります。そして口に入れた直後に、本当に淡いですが甘さも感じることができます。本当に多少なのですがね。
ところがその後、まるで鉛筆削りのカスの匂いから想像するような味がしてきて、ちょっとがっかりさせられます。
その先にもう出てくる味はありません。
結論としては「あまり美味しくはありません」が、なにもないところから自力でこういう形にまで生きてきた成果をいただいたんだという実感はありました。
人間てやっぱり「雑食」なんだなあとも思いましたし、それにある程度柔軟に対応できる体の構造って本当にすごいなとも思いました。
切り取り情報
切り取りの窓
ところで上の写真、どういった印象ですか?あれに見えませんか?
この写真はまずクサイチゴの実の一部が見えるように切り取り、少し無理矢理にクッキリ感を出す加工を加え、最後に白黒映像に。
これだけでもう、ツブツブがレセプターに見えてきませんか?
窓によって切り取られる空とか、そういう表現をされるように、僕らが見ているものも考えも、誰かというフィルターを通した場合は必ず「切り取り」されているのですよね。全部を知りたければ、自分で体感したり最初から考えたりする必要があるのですよね。
外から結果だけで知らされる情報って、仕組みを知ろうとしないまま受け入れる情報って、案外こんな感じで「クサイチゴ」が「恐ろしいウイルス」に見えるようなパターンもあるように思います。
5類への解放
5月8日から、新感染症の類型5類に切り替わり、メディアが報じていましたね。僕にはようやくなのかという印象でしたが、コロナそのものの現状解説も含め、結局意図を含まない純粋な解説というのを理解できる形で知る機会がなかったような印象でした。
判らないことがいっぱいあるまま「怖いぞ」だけで動いていたかと思えば、何がどこまで判ったから「5類にしました」のかもよく判らん。
それなのに「油断はするな」などのいわゆる苦言を呈するというのは続いている。
いつしか自分もやり過ごされる「どうして?」についてを、考えることが面倒になってしまった気がします。
活動できる喜び
とは言え演奏活動の方は「保証なき覚悟の要求」から開放されます。
皆さんの元気を引き出したり、優しい心や温かい心に触れられる演奏活動を、ますます頑張ってゆこうと思います。
会場でお待ちしてますね。
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