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ぼくの学びストレージ

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えんじろうが「好き」を追求するために学んだことを忘れないように、健忘録として記録します。
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#心

期待することの罠

ずっと前からこの格言は僕の中にあったのですが、とっさの時に忘れてしまうんです。格言をというよりも実践することをです。つい先日そんな体験をしてしまったので、改めて記しておこうと思います。 というわけで、今回はえんじろうの大切にしている格言の1つをご紹介しましょう。 他人の行動に期待するなこれにつきます。悲観的な言い回しに聞こえるかも知れませんが、己の依存に対する戒めでもあり、同時に無駄に鋭い心をすり減らさないための鉄則です。 実は「他人に期待」することは悪いとは思っていませ

収録中の初体験

皆さんこんにちは。春爛漫の週末の朝ですが、えんじろうは土日も朝から新たなCD「3つのオカリナがうたう 名曲の宝箱 第2弾」の製作をがんばっています。 今は収録作業の真っ最中!12曲×3パートなので、36テイクを少しずつ収録しているのですが、そんな昨日に事件は起こりました。 今回はそんなえんじろうが生まれて初めて味わった「思考と魂のぶつかり合い」のような体験談です。 きっかけは痛恨のミスこちらのオカリナは息が結構いるのですが、それでかなりの高音やロングトーンが入ってくるパー

栗の木の囁き

実は引っ越しするんです。この栗の木ともお別れしないといけなくなるんです。栗の木がどうなるかは、実はまだはっきりしないのですが、一緒にいることができなくなることは確実です。 語り合いそんな栗の木に、引越しのことを告げるために庭にゆきました。黄色や茶色になった葉をたくさんたたえるその姿は、まさに季節を渡る準備中という感じで、引っ越しの準備を進めている自分とかぶるものを感じました。 風が吹いてはサラサラというよりもカサカサと音を立て、時折葉を落とす様子が愛おしく感じました。 気

心が現れるから洗われる?

今回はオカリナという、えんじろうの生きる目的となっている楽器のお話です。よくオカリナ演奏をお届けすると、お客様から「心が洗われました」とか「純粋な心が音に出ていますね」とかいうコメントをいただけます。 罪の意識と勘違い実はこのセリフをいただくと、えんじろうは心が痛むのです。言ってもらっては困るという意味ではないのですが、自分はそんなに心がきれいな人間でもないし、卑しい部分もたっぷり抱え込んで生きている。それなのに「心が純粋」などと言われると、まるでオカリナで人を騙して歩いて

感じる心を見つめる

あなたは日々感じていますか?間もなくお彼岸がやってきます。そこからは秋。この季節は特に「感じること」に長けた季節だと思います。 食欲、スポーツ、芸術、他の季節だって触れていることなのに、この時期だけやたらと「〇〇の秋」で通ることが、何よりの証拠ではないでしょうか? 巨峰を感じる見て美味しい食べて美味しい。果物って人を幸せにしてくれますね。果物的には繁栄の手伝いをしてくれるなら大歓迎というところでしょうね。そう思うと人間は食べるだけで種をゴミにしたり、土でなくトイレに流したり