屋根裏から出てきた母トモコの日記 1997/01/08
これは大学生である私が、
母トモコの日記を勝手に公開するものである。
トモコは1980年生まれ、
日本の東北地方で公務員の父親と専業主婦の母から生まれたごく普通の女子である。
日記は彼女が中3の1995年から始まって
20代で結婚する頃にはぶつ切れになっている。
(リアルで幸せになると創作活動をしなくなるという典型なのかもしれない)
内容が生々しいハタチ前後と
文章がまだ下手くそな15歳ごろを飛ばして、
この記事ではまず暗黒の高校時代から少しづつ読んでいこうと思う。(「暗黒の」と本人が日記のタイトルに書いている)
1997年01月08日(木)高校2年冬
林聖子とワタシが男女関係ならば、多分今ごろもうサヨウナラして別の恋人を作ってると思います。そのくらい、友達として話がかみ合いません。もっと一緒に話す時間が長かったら、別のことも話せるのにと思います。
なにしろ朝、同じ電車に乗って降りたら、学校でほとんど話す機会はない。
その後バスに乗るが、あの人は高校でできた他の友人と先にバスに乗って行き、ワタシは一本遅らせる。
中学のときはずっと一緒だったのに、今は電車の中の20分だけ、なぜか話すわけだが、どうも話が合ってない。
共通の話題というやつが昔の話しかない。
林聖子はグレイだのラルクアンなんとかだのバンド関係の話をしたがるが、そればっかり話されても興味のないこっちは何と答えていいのかわからない。
ワタシだって、大した話題がもっとあるわけでもなく何話しても「へえ」で終わってしまう。興味の対象が違いすぎてきてるのだった。
前に
「バンドの話ばっかりされてもわかんないよ」
と言ったところ、
「じゃあ何の話したいの?」
と険悪なムードになった。
ワタシが答える番だったが、電車で話すということ自体、みんなに聞かれてそうで恥ずかしかったワタシは言い争う気になれず黙り込んでしまった。
とにかく、何しゃべられても「はあ」としか言えない状況なんです。
今日になって渡されたあの人の年賀状も、絵に描いたようにスバラシイです。
差出人の名前がないし、
ワタシの住所間違ってるし、
裏側には手書きのイラストが描いてあるんだけど、メッセージがその絵についての本人の感想だけで終わっている。
そしてスペースを埋めるかのように
「今年もよろしゅう」
と書いてある。
ワタシの考える「愛のない手紙」パターン最終型であります。
昔からワタシらは「じっと一緒にいようね!」みたいな友達じゃなかったが、本心をちゃんと言える友人じゃなかったかなあ。
お互いの呼び方も、小学校では聖子ちゃんトモコちゃんから始まりだんだんあだ名、でも最後には親しくなりすぎて「フルネーム呼び捨て」にたどり着いたワタシらである。
もっといろんなこと昔みたいに話したいと思うのに、今電車の中で聞く話はどれもつまんなーく聞こえる。お互い興味を失っているのか、せっかく同じ高校に受かったのに、離婚直前の夫婦のようだよ。
ワタシが恋人持ったことないんでわかんないんだけど、友情と愛情ってどっちが長いんですか。
(1997年01月08日)
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ラルクアンなんとかはきいたことあります。
95年にもういたんですね…
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