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母親の優しさ

高野山で仏道に励む空海に、一報が届きました。
「お母様が高野山の麓まで来られています」

空海のお母さんは、これが息子の顔をみる最後のチャンスだと思って、高齢にもかかわらず、はるばる遠い四国から杖をつき、長い時間をかけて空海に会いにやって来ました。

しかし、お母さんは、高野山の麓に着いて大切なことを知りました。高野山は女性禁止という決まりがあったのです。

空海の弟子は空海にこう言いました。
「師匠のお母様は高齢にもかかわらず、息子に会いたい一心で遠くから来たのです。特別にこっそりお呼びになってはいかがですか」

空海は首を縦には振りませんでした。
「私は仏の戒めを守ってこれまで修行してきた。弟子たちにも厳しくし指導してきた。それを自ら破るわけにはいかない」

そこで空海は自分が山を降りて、母親に会いに行くことにしました。
空海は母親と再会し、母の手を優しく握って言いました。
「母上様、せっかく四国から来ていただいたのに、山に上がってもらうことができません。どうか許してください。私が何度でも山を降りて来ますので、どうか麓にある寺でゆっくりとしていてください」

母親は高野山を見上げながら空海に応えました。
「私はお前が建てたお寺がどれだけ立派か、それを一度拝みたくて来ただけです。規則は規則ですし、お前の立場もあるでしょう。私のことは気にせず、人々のため、弟子のため、この国のために仏道を全うしなさい。私はお前の元気で立派な姿をこうして見ることができただけで満足です」

しかし空海はすぐに、母親が強がってこう言っていることがわかりました。そこで、空海はいつでも会えるように母親に高野山の麓にある寺で当分の間、暮らすように手配しました。

空海は忙しい時間のなか、少しでも時間を作っては麓にいる母親に会いに行き、母親の寂しさを慰めました。
ある夜、空海は寝る間を惜しんで、母親に会いに行こうとしたところ、弟子が言いました。
「師匠、こんな真夜中に山道を歩くのは危険です」

しかし空海は「母親が寂しがっておる。できる限り元気づけてあげたい」と言って、山を一人で下って行きました。
「母上、空海です。母上が寂しのではないかと思って来ましたよ」

空海は母親がいる部屋の戸を叩きました。夜中に会いに来た空海に母親はびっくりして言いました。
「こんな時間にどうしたのですか。私のことを思ってくれるのは嬉しいが、お前はたくさんの弟子を導く立場です。無理すると体調を崩しますよ。すぐに山に戻って休みなさい。もう二度とこんな無理をしてはいけません。私のことは気にせず、もっと仏道に励みなさい。全身全霊で邁進しなさい。もう来なくて結構です」
と涙を浮かべて戸を強く閉めてしまいました。

母親の息子を思う気持ちは、時にはこのように厳しい態度となってしまうことを、空海がわからないわけがありません。空海親子は、戸越しにそれぞれ涙しました。

空海は閉まった戸に向かって合掌して深々と礼拝して、山に戻っていきました。それから母親の言いつけを守って、山を二度と降りることはなく、再び弟子たちの教育や布教に一層力を注ぎました。
               
その後、しばらくたって母親が亡くなりました。空海はその知らせを聞くと、山の麓に下りて行って、そこにある木を切ってきました。そして、その木を自ら彫って仏像を作り、本堂に祀って毎日拝み続けたそうです。
 


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