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無知は滑稽。独りよがりは要注意!

今回は、『徒然草』第512段の「仁和寺にある法師」のおはなしです。
主人公は、間抜けな仁和寺のお坊さん。

私訳は、こちら👇

仁和寺の或る僧侶が、はじめて石清水八幡宮にお参りに行った時の話。
この僧は、八幡宮の山の麓にある極楽寺や末社を石清水八幡宮だと勘違いして、ここだけ参拝して帰って来てしまった。

その後、友人に「長年の思いがやっと叶った。噂で聞いていた以上に立派だった。それにしても参拝者がみんな山を登っていたが、山の上に何があるだろうか。私も行きたかったが、今回は八幡様のお参りが目的だったので、山の方までは行かなかった」と話した。

 ちょっとしたことでも、案内人は必要だとつくづく思う。

この話を聞かされたお坊さんの友人は、「えっ、石清水八幡宮ってそこじゃないんですけど…」と言えなかったのでしょうね。

仁和寺のお坊さんも、一生に一度の大切なお参りで、本来の目的を達成せずに帰ってきてしまったことを知ったら、さぞかし悲しむことでしょう。

徒然512

兼好のこうしたつぶやきは、とてもアイロニック(皮肉)ですね。皆さんは、仁和寺のお坊さんのように、知ったかぶって大恥をかいたことはありませんか。

自分で無知だという自覚があればまだいいのですが、仁和寺のお坊さんのように、誰も指摘してくれずに「裸の王様」になっているは、とても残酷なことです。結構、「裸の王様」って、どこにでもいますよね。特に会社で上司だったり、先輩だったり、人の上に立つ人は要注意です。

誰でも勘違いや間違いはあります。それを指摘してくれるのは、むしろありがたいことです。誰も指摘せずに、ずっと間違ったことを言い続け、周りから「バカだよね」と陰口をたたかれるほど、屈辱的なことはありません。


間違いを指摘して怒る人がいます。そういうプライドの高い人は必ず「裸の王様」になっていくことでしょう。

恥をかくことは、成長するための糧となります。恥をかくということは、自分の過ちを公に指摘されるということです。兼好の言葉でいえば、「すこしの事にも先達はあらまほしきことなり」です。恥をかくことは嫌ですが、有り難いことでもあるのです。

なので、恥をかくことは悪いことではありません。間違えたら、「教えてくださり、ありがとうございます!」と気持ちよく返答すれば、むしろそちらのほうが好印象です。「恥を指摘されないのは、一生の恥になるので要注意」ということを教えてくれる512段です。


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