人間が人間たる所以は<改心>できることにある
どんな悪い人でも、心のどこかに一つや二つ優しいところがあります。
そのほんの小さな優しが、何かのきっかけで悪い心をすべて洗い流してくれることもあります。
悪ければ悪いほど、その分、たくさん優しくなれる可能性が人間にはあります。<改心>は、きっと神様・仏さまが授けてくれた人間が人間たる所以のスイッチです。
今回は、そんな改心についてのエピソードを紹介します。
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鉄砲名人で評判の太郎は、今日も威勢よく獲物を捕まえに山に入りました。辺りを注意深く見渡すと、木の枝に座ってのんびりと休んでいるサルを見つけました。
ゆっくりと木のふもとに近づいてから、狙いを定めて鉄砲を構えました。
太郎は鉄砲を撃ちました。
「バン!」
「キャイン!」
「やった、当たったぞ」
鉄砲の弾は、サルに命中しました。鉄砲玉に当たったサルは、今にも枝から落ちそうですが、何とか枝に片手をかけてぶら下がり、木から墜落しなうように必死に痛みをこらえて耐えています。よく見ると、もう一方の手で何か小さなものを抱きかかえて必死に守ろうとしています。
太郎はとどめを刺そうと鉄砲を再度構えたその時でした。
「あれは子ザルではないか」
なんと撃たれた母ザルは、子どもをもう片方の腕に抱いていました。高い木から落ちてしまえば、母ザルも子ザルも命は助かりません。
母ザルは子だけは助けたという一心で、懸命に枝にしがみついています。さっきまでは楽しく幸せに親子みずいらずで過ごしていたサル親子は、一瞬で幸せから不幸のどん底を味わうことになりました。
「お母さんはもうダメ。お前だけでも遠くにお逃げなさい。さあ、早く…」
「お母さん!いやだよ。大けがしているお母さんを置いては行けないよ」「この身体では、お母さんはもう逃げることはできないわ」
「いやだよ。お母さんも一緒に逃げようよ、お母さん!」
段々と母ザルの手の力が抜けていきます。
「もう枝を握っていらないわ。ぐずぐずしてちゃだめ、早く逃げなさい」
子ザルは大きな泣き声をあげて、なかなか母ザルから離れようとはしません。母ザルが何を言っても子ザルは悲しそうな声を大きくあげるだけで、母ザルの身体を強く掴んで決して離れません。
どんなに痛く苦しくても、母ザルはなけなしの力を振り絞って、子どもを守るために懸命に枝にぶら下がります。しかし、母ザルはついに力尽き枝から手が離れてしまいました。母サルは子どもを胸に抱えたまま、高い木の上から真っ逆さまに地面に落ちてしまいました。親子猿は助かりませんでした。
このサル親子の最期を見ていた太郎は、それから二度と鉄砲を担いで山に入ることはありませんでした。太郎が猟師をやめたことを聞いて村人たちは大変驚きました。
「あれだけの腕の持ち主である太郎が、なぜ突然猟師をやめたんだ」
太郎は村人に理由を聞かれても一切答えようとはしませんでした。サル親子が落ちて死んだ木のふもとには、土を小さく盛った上に大きな石が置かれた小さなお墓ができていました。そのお墓のまわりには、いつも色とりどりのきれいな花がたくさん毎日供えられていました。
そこはいつも花の良い香りが漂い、多くのサル親子が集う平和な憩いの場となっていました。そしてそこは二度と猟師が立ち入らないように誰かが目を光らせていたそうです。
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罪が深ければ深いほど、改心した時の救いも大きいのでしょう。誰だって大きな過ちを犯します。それは時には取り返しのつかないことだってあります。それでも、人間は改心して生き直すことができることを教えてくれるエピソードです。
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