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東大のカレッジでの英語授業

その先に見えるビジョンは理解、賛同できますが、日本の大学や会社で公用語を英語化して成功させたいなら、その事前段階として公教育での英語教育を変え、公用語に英語を加えるくらいの規模で考えていかないと厳しいと思っています。

自分が第二言語で生きてきた経験と照らし合わせみても、制度をとにかく始めればいいというものでもなく、10年、20年スパンでの種まきから育成までのプランが必要かと思います。日本は新しいことをするのが苦手という言論もあるけれど、長期計画から逆算してタスクやゴールを細切れにして実行する部分にも問題があるのではと思っています。小学校でやっている探究学習にも同じことが言えると思います。方向性はいいんだけれど、理想と現実のギャップを埋めていくところにあまりに現実的な計画性がない。

言語を「共有して使用する」ということは、一大学や一個人が頑張ったところで全体の歯車が回っていくようなものではなく、国家規模で取り組まないと無理、というのは自分の経験則からの感覚。日本人同士や文化背景の近いアジア系同士なら「言語」そのものに頼らずともコミュニケーションできてお互いの英語を理解しやすいなど、第二言語として英語でコミュニケーションが取れるといってもその中にある「幅」は相当大きいのです。

NHKが英語版も放送するなどの受け身でぼーっとしていても入ってくる英語が皆無な国の高等教育においての英語公用語化は、あまりにチグハグが多すぎます。

ビジョンを実現するための、今後の具体的なプランに期待します!(応援してます!)


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