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子育てメモ(2024/3)

英語圏のカリキュラムに乗っても娘の生活は今のところは余裕あり(お友達と遊びにも行っているし好きなこともやっているし早寝)で、半年後に英語の負荷を上げるか、小学生いっぱいゆるっとやるか。どちらに進むかは娘の意思と私から見える道筋とのすり合わせ、判断材料は娘の時間的負担、脳のキャパ、体力、そして通常運転でここから半年続けてみた際の英語力の伸び。

脳のキャパ、ゆるっと、というのをどう判断しているのか考えてみると、普段の負荷の少ない状態で娘がどこまで進めるのか、というのを私が勝手に頭の中で測定しているなと気づきました。

例えば、親が口出しせずにどこまでできるか、娘が自力ペースでやってみた場合に20分の間に何ができたか、どのくらい理解したか、口出ししない場合どうなるかなどなど、無意識に事例を増やしているイメージ。特にメモなどはしませんが、一つだけfixedな要素を作ってどういう結果になるのか試したり、逆に一つだけ要素を動かしてみてどうなるか実験するイメージで、その「結果」を踏まえて、娘の大体の許容範囲を見極めていく感覚です。意識的に測定しているわけでなく、感覚で。多分人とのコミュニケーションが得意な人はこういうのを無意識にやっていて、そういうのが非認知能力と言われているような。

ひとしきり経験してきた大人と人生一周目の子どもで耐えうる負荷はもちろん異なる上、他にも色々やりたいことだらけの娘の諸々をアジャストするのは私の得意分野。(だからこそこんなnote書いてる)

非認知能力と呼ばれているものはあまり言語化も定量化もあまりされていないけれど、私の強みだと言われる「器用さ」はこういう部分だ、と自分でもうっすら認識している節があるので、非認知能力強い勢が、感覚でやっていることを言語化できるようになると、この領域の解像度が上がっていきそう。

ただ、ここを体系化しようとすると逆に非認知能力が「低い感じ」になる場合があり(伝わるのか?)、ジレンマもありそうですが、一つ一つの要素をしっかり抽出できればどうにかなるはず。ざっくりした定義なら非認知能力=臨機応変力でいいような。3Dでの器用さ、みたいな印象。



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