見出し画像

お勧めWebサイトNEXTWEEKENDと「今の場所から子どもをとおして見える世界

わたし、愛読しているWebサイトがあります。NEXTWEEKENDというのですが、その中でも「編集長がこたえます」と「子育て交換日記」が大好き。

▲愛読しているNEXTWEEKENDの「編集長がこたえます」と「子育て交換日記」。

NEXTWEEKEND

もともとは村上萌さんの書く文章(編集長がこたえます)のファンで、それに釣られて読み始めた「子育て交換日記」で永田さんという方の文章にもまんまと恋に落ちました。

▲永田尚子さんのnote

村上さん、永田さんに限らず、子育てと仕事でバタバタな毎日へのスポットライトの当て方が素敵なんですよね。「よっしゃわたしもがんばるか!」と読んだ後に元気をもらえます。てんてこまいな日常でも、笑いに昇華して明日への活力にしてしまうような。お二人の文章を読んでいると、何事も捉え方次第だなと感じます。

さて、この子育て交換日記に触発されて、「今の場所から子どもをとおして見える世界」についてわたしも書いてみたくなりました。

《自己紹介》
・30代ワーママ
・夫、3歳の息子と3人暮らし(第二子妊娠中)
・国内外の子連れプチ移住に興味あり

子育ては世界がふくらむ

まだ結婚もしていない20代半ばのころ、会社の子持ちの先輩に子育てってどうですか?とこれまた漠然とした質問をしたことがありました。

すると、大変だよ〜なんて愚痴を挟みつつ、「でもね、子育てすると世界がふくらむんだよ」と言っていました。

「世界が…?ふくらむ…?」当時はふんわりとしか理解できないながらも印象的だったこの言葉。今はとても実感しています。

わたしが子どもを産んだのは30過ぎてから。住み慣れた街で暮らし、仕事をして自立して生きてる。おしゃれなお店だってカフェだって知ってるし、レストランや海外旅行、エステに買い物、お金を使う遊びだって一通り経験した。今の環境で目新しいことなんてそうそうないと無敵な気持ちさえしていたあのとき。(今考えると若い)

子どもを産むと、360度あらゆる方向に世界が広がる

悪阻のアホみたいな辛さ。辛くて産婦人科に訴えても「水が飲めるなら大丈夫です」で具体的な解決策なく終わらせられる意味のわからなさ。健康な身体がいかに大切か痛感します…。そこから子どもが産まれてしばらく経つまで、外に出るのも一苦労。いつもの駅も、電車に乗るのにもバリアフリーや休憩場所を探したり、自分が社会的弱者として見る世界はこんななのかと驚きました。

住み慣れたこの街、子どもを持つ前は自宅から最寄駅まで歩く徒歩5分のその最短の道のりの風景の顔しか知りませんでした。目に入るのはコンビニや今度夫と食べに来ようと思う大人向けレストランばかり。3年住んでいても挨拶を交わす知り合いはおらず、特にそれに違和感も感じず。

ところが産後に子どもを連れて散歩してると、驚くくらい頻繁に声をかけられます。「あら〜可愛い!坊やをおばちゃんちに連れて帰りたいわあ」と何人のおばさまに声をかけられたことでしょう。あまりにもこの「連れて帰っちゃおうかしらギャグ」を言われるので実母にこの話をしたところ「わたしも街中の赤ちゃん連れの親子に同じことを言っている」と言ってました。身近に同じギャグを言う人間がいたとは…。

そんなことを言っているわたしも、街中ですれ違う0歳くらいの赤ちゃんを連れたお母さんを見るとつい目で追っちゃうし「かわいい〜!」と声をかけたくなる衝動に駆られています。「連れて帰っちゃおうかしらギャグ」を言う側にまわる日は確実にすぐそこです。

よく行くコンビニの店員さん、八百屋さん、鶏肉屋さん、パン屋さん、豆腐屋さん、レストラン、よく掃除をしているご近所さん、子どもと一緒にいると挨拶や会話が自然と生まれます。

ただの通り道だった歩道橋の上は乗り物好きの子どものパワースポットだし、寂れたように見えてた遊具が少しあるだけの狭い公園も、乳児連れにはほどよいオアシス。住み慣れた街がこんなに奥行きがあったとは知りませんでした。

新卒以来一社で働き続けてきて、周囲には似たような学歴、仕事をする人しかいません。それが育休中に参加した役所主催の子育てイベントや保育園で出会うママ友は、年齢も属性も国籍も本当にさまざま。自分に見えていた世界がいかに多様性に乏しかったのか思い知ります。

ちがう世界で生きるママさんたちと仲良くなりいろんな話をする中で、自分の中にある無意識の「こうしないといけない」ルールに気がつきました。変えてみてもいいんじゃないかな?など、少し柔軟性ができ生きやすくなったように思います。

そのほかにも、ベビー服の沼、お受験産業など、知られざる深い世界がありますよね。夫とも「子どもを産んでから知らない世界をいろいろ知るなあ」と話しています。

 「しっかりと 飯を食わせて 陽にあてし ふとんにくるみて 寝かす仕合わせ」

とあるnoterさんに教えていただいた短歌です。
この短歌を読んで「そうそう!」と感動したことを覚えています。

もともと末っ子気質のわたし。お世話するより、される側ポジションにさりげなくおさまるちゃっかりタイプです。でも、30年余り生きてきて、出産したことでお世話するしあわせについに気付いてしまった。

しっかりと 飯を食わせて 陽にあてし ふとんにくるみて 寝かす仕合わせ

河野裕子さんという歌人の短歌

子育てで得られる幸せって、立派に成長してくれた、とか、大きくなって親孝行してくれたとか、成長した子どもから将来与えられるものかと思ってました。でもちがうんですね。子どもが与えてくれる幸せは、子育ての過程そのもの。

「牛乳のみたい」と起こされ、飲ませてたら盛大にこぼされ、朝5時半から床に這いつくばって牛乳をふくような日も。

トイレットペーパーを全て引き出して便器に突っ込んで詰まらせた日も(そしてなぜかそれを口に入れようとするので身体を張って阻止!)。

どんなにどったんばったんな毎日でも、子どもにもりもりご飯を食べさせて、力尽きるまで遊ばせて、ぐっすり寝かせられたら、母の気持ちはもう優勝、大優勝。

子どもをとおして見る世界は、いつも色とりどりで、縦にも横にも広がって、なんとまあ濃い24時間になるもんだなあと、母業4年にしてしみじみ感じるのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?