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興味は広げる気がないと広がらない

自分の興味の幅を広げるために必要だと考えていることについて書きます。


何もしないと同じことの繰り返しになってしまう毎日

社会人になって働いていると、意識する、意識しないに関係なくルーティーンのようなものができてしまいます。

・朝起きて、トイレにいって、コーヒー飲んで、朝ごはん食べて、スマホで情報取集して、通勤。
・会社に着いたら、メールソフトを立ち上げて、その日のミーティングとタスクを確認して、昼休みまで仕事。
・お昼休みの間に済ますことができる範囲の食事を済ませ、午後から退勤時間まで仕事。
・仕事終わりに同僚や友達や家族と食事に行ったり、スポーツジムへ行ったり、長めのお風呂に入ったり、スマホや読書や勉強をしたりして就寝時間まで過ごす。

寝て起きたら、トイレに行って、・・・という繰り返しについついなってしまいがちです。

休みの日は、予定があれば出かけるし、予定がなければ目覚ましをかけずに起きるまで寝るし、録り貯まっているテレビや映画、NetflixやYoutubeを見て、休みの日ぐらいは時間を気にせずに食事をすることができる。
なんてことについついなってしまいがちです。

大きなトラブルや目的がなければ、意識せずに過ごすことが出来てしまう日々で、社会人歴が長くなればなるほど、その傾向は強くなってしまいがちではないでしょうか。

それが悪いというわけではありません。その生活で問題がないから、頭のリソースを使う必要もないわけで、日々を過ごせてしまうため、毎日が同じような繰り返しの日々を過ごせるのです。

困っているわけではないので、問題はありません。

ただ、世の中というのは自分が思っているより何倍も広く、「自分がこのことにもっと時間を使いたい!」というものに気づけない勿体なさがあるのではにか?と気づくことがありました。

世界は自分が思っている何倍も広い

世の中というのはとっても広いので、自分が日々繰り返している生活のすぐ近くで面白いことが起きているのです。

趣味に生きている人というのが正に人生を面白く生きている人です。趣味に生きている人は、人生の時間が濃いと思いませんか?

例えば・・

電車の写真を撮る趣味の人がいます。
あの電車があの場所を走るのは何時何分だから、その時間を逆算して家を出て、先回りしてカメラやレンズをセットして、電車が来る時間を心待ちにしている時の気持ちの高揚感は何事にも変えがたいでしょう。

喫茶店めぐりが趣味の人がいます。
スタバのフラペチーノやサンマルクカフェのシロノワールには目もくれず、純喫茶と呼ばれるお店の雰囲気や家具、食器にときめき、そのお店で飲むコーヒーやクリームソーダを味わう時間を堪能している人は全国に行きたい喫茶店があるので時間がいくらあっても足りるハズがありません。

アイドルやアニメのキャラクターの推し活をしている人がいます。
アイドルのライブがあれば全国を飛び回り、アニメのキャラクターのアクリルスタンドや缶バッチを沢山貼り付けた推しバッグを持ち歩いては舞台となった場所へ行き、自分のスマホで写真を撮る楽しみはお金と時間があればいくらでも注ぎ込みたいと思えるものです。

そのように趣味に生きる人というのは、やっていることがたとえ傍から見れば同じように見えますが、個々人で楽しみ方は違いますし、誰かに強要されているわけではなく、自分自身の意思で行なっている分、満足度は高いのでしょう。

毎日が同じことの繰り返しになっている人と比べて人生が濃いとは、そのように人生における満足度の高さのことを指しています。

社会人になりたての頃は、色んな人がいることに刺激を感じ、終電や始発まで飲み、遊び、自分の趣味嗜好にあるものがないかと探していたのではないでしょうか。

しかし、社会人歴が長くなり、自分が楽しいと思うこと、快適だと思う時間の過ごし方がわかってきて、それらを深堀する労力や時間を使わず、同じことの繰り返すことが固定してしまっているのではありませんか?

そんな「楽しい」より「楽」なことを優先してしまい、繰り返すことが固定化してしまった時間の使い方をどうすれば良いかというと、「面白そう」と思った自分自身の兆しを見逃さないことが大事です。

面白そうと思った兆しを見逃さない

社会人歴が長くなると、喜怒哀楽の中で「怒」「哀」「楽」は仕事で味わるかと思います。特に「怒」を味わう機会が多くなりがちです(涙)

「喜」の部分は、感情を表に出すことが少なくなっていることはありませんか?通勤電車の中で「怒」の顔をしている人たちはいても「喜」の顔をしている人はあまりみかけません。

仕事で感情を見せる人はあまりいないからです。感情を顔に出すのは子どもなら許されますが、大人では許されないような社会であるように感じます。
その反動で、自分の感情が今どんな状態なのかを察知する感覚が鈍っているように思います。

「こんな仕事をしたいな」と思ったり、「やりたいことがわからない」と悩んだりするように、子どもの頃だったら何も考えずに遊んでいたのに、大人になったら、「何のためにやるの?」と考えてしまい、身動きが取れなくなってしまうというのは私自身の体験としても身に覚えがあります。

自分の感情が動いたことを見逃さないことは、自分の感情を察知するためにとても大事なことです。

映画を見て、あの車かっこいいな、乗ってみたいなと思ったこと。
インスタを眺めてて、ふと目に飛び込んできた美味しそうな料理を食べたいなと思ったこと。
Facebookで知り合いが紹介していた本や漫画が面白そうだと思ったこと。
テレビで見たスポーツ選手がかっこよくて、自分もやってみたいなと思ったこと。

そういった感情がちょっとでも芽生えた瞬間を見逃さないようにしましょう。
そういった感情に蓋をして、「ふーーん」と斜に構えているだけでは、自分のやりたいことや興味の幅というのは広がりっこありません。
斜に構えてばかりではかっこよくないですので、もっともっと自分の興味の幅を広げていきましょう。

自分の気持ちが「面白そう」という兆しが見えても、「忙しい」とか「面倒くさい」という気持ちが湧きがちです。言い訳のクリエイティブさをもっと仕事に活かしたくなるくらい、言い訳のバラエティは誰しもいくらでも思いつくと思いますし、無限に出てくることでしょう。

それらの言い訳を「面白そうだからやる」という思いだけでやっつけていくのです。その思いを持てる人だけが人生で過ごす時間をより楽しく豊かにしているように周りの豊かな時間の過ごし方を見ていても感じます。

ぜひ、自分の面白そうという芽を自分自身で摘まずに、大切に育てていきましょう。

おわりに

子どもの頃は興味の幅なんて無限に広がっていきましたが、大人になると自分で広げようとしない限り広がっていくことはないのではないでしょうか。
お仕事は大事ですが、仕事以外の時間も人生ですので、人生を充実させるためにも興味の幅を広げていきましょう!

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