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だから私は会社を辞める

4年勤めた一部上場メーカーを退職しました。
正しくは、2020年9月末で退職します。
入社前から退社までのあれこれについて、思い出を添えて。

入社理由

2016卒、2015年8月が面接解禁日。
一言で言うと、8月下旬までに内定がそこしか出なかったのだ。
BtoBメーカーで上場、土日休、勤務地大阪、転勤がなしという会社はそうそうない。
私は入社できてラッキーだと思った。

上司1人目

2016年6月、営業企画部に配属された。
部長1人に課長2人、私のグループは5人(課長、係長、2年目の先輩と年配の庶務の方と私)だった。
その課長からはまず今後どういった仕事がしていきたいかのキャリアプランを聞かれた。
おだやかで、部下思いで、すごく大好きな課長だった。

上司2人目

2016年7月、組織改正があり部署名が変わり、課長も分掌事項も変わった。
新しい部署に経理部から来た収支の仕事が加わり、担当業務がなかった私はその担当者になった。前任は30代の経理部主任、前々任は部署のもう1人の方の課長(4人目の課長)で、前々々任が係長だった。経理部主任と係長に仕事を教えてもらいながら、1年目のぺいぺいの私が会社の収支予測をすることになった。
2017年2月からは、他部署の応援に行った先輩の仕事もこなすようになった。

課長は元営業の人で、賑やかな人だった。率直に言うと資料作成が主なグループの課長には向いていなかったと思う。当時課長は8桁の電卓を使っていて、桁が足りないとの言動に驚いたものだ。
良いところもたくさんあった。わからないことはわからないと言い、難しいことは部署歴20年選手の係長に任せ、積極的に部下に仕事を与え、率先して部署間の調整をした。

上司3人目

2017年7月、部署のグループが2つから4つになり、課長が変わり、女性主任が1人増え、先輩が異動になった。
女性主任に元先輩の仕事を引継ぎしたが、妊娠の為冬頃に悪阻休みを3ヶ月取り、2018年5月末頃から休暇に入ったので、私がカバーした。

上司3.5人目

2018年4月にITWGに入り、2019年4月からシステム開発Gの兼任となった。
システム開発Gは課長1人と専任の係長、兼任の20年選手係長と私だった。
課長も係長も穏やかで、ロジカルで、親身に相談に乗ってくれる人だった。

上司3人目(その2)

2019年10月、20年選手係長が経理課長に昇進となり、1年目の新入社員が配属された。
仕事は係長がいなくても回せるようになっていたが、業務や知識の生き字引的存在で大きな痛手だった。
1年生の子は勤務中にスマホを電卓利用し、LINEをする学生気分の抜けていない所があった(勿論注意した)が、素直で人当たりの良い子だった。女性主任の仕事を引継ぎした。
3人目の課長についての詳細はここでは割愛する。

上司4人目

2020年7月、女性主任が復職し、私は隣の見積のグループに配置換えになった。
この段階で転職活動は終盤だったので、課長には申し訳ないことをしたと思っている。タイミングが良すぎて転職活動がバレているのか不安になったが、私が女性主任に公明正大に引き継ぎを行えることに安堵した。
後にこの課長から、新規配属の時に1人目と4人目の課長が私を取り合ってくれたことを聞いた。素直に嬉しかった。

なぜ辞めるのか

皆が聞く「なぜ辞めるのか」
辞める理由なんて、会社を辞めることと辞めないことを比較した時に「転職活動というコストを費やしてでも辞める」に軍配が上がるからに決まっている。でも、そんな理由を言っても納得しない人は多いだろう。(納得しない人の大半は退職を選択肢に入れたことがない人だと思う。)そこで少し私の自論を展開させて欲しい。

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