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自然経営研究会の「終わり」のデザイン

”In closing”(おわりに)

前回の記事を書いてから約半年。その間、自然経営研究会はgatheringを始めとしたいくつかの緩やかな集まり以外は、ほとんど活動をしていません。
2017年12月に立ち上げて以来、4年半。2022年5月末にて、第5期が終了します。

「自然経営研究会という『法人』としての役割は、もう終わりつつあるのではないか?」

発起人の武井さんとそんなやりとりをした上で、「終わりのデザイン」を始めてみよう、ということになりました。
(そして、このプロセスを始めたからといって、どうやって終わるのか、いやそもそも本当に「終わるのか?」は誰にも分からない、というのが自然経営っぽいところ笑)

自然経営研究会の「終わり」って、どんなプロセスなのだろうか?

いま時点でなんとなく浮かぶのはこんな問いです。

  • これまでの活動を通じて、何が生まれ、何に貢献できたのか?

  • 本当にこの法人の役割は「終わり」に向かっているのか?それとも「新たな始まり」があるのか?

  • 法人は「清算」するのか「休眠」するのか?

  • もし「清算」するならば、いま保有している現預金はどうするか?(そこそこの金額はある…)

もっと色々な問いがあるのかもしれません。総括みたいなこともやりたい気がするし、関わってきた人、登壇してくれたゲスト、などとも色々と話ができると良さそう。

ソース原理からの振り返り

武井さんがコメントしてくれたこととして、せっかくの機会なので、いま翻訳を進めている「ソース原理」に当てはめてみると、どうなるんだろう?ということは面白いかもしれません。

武井さんとの実際のやり取り

ソース原理を知った当初は、自然経営研究会には「ソースは不在」なのだと捉えようとしてきました。
「自然(しぜん)にソースはいない」し、日本の文化的な土壌の上で成立する生命的な組織においては、河合隼雄の中空近郊構造のように、特定の「中心(≒ソース)」が不在でも成立するのでは?という仮説があったからです。

この仮説は果たして本当だったのだろうか…?ということも、この5年間の経緯を踏まえながら、探索的に振り替えれればと思っています。


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