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父の命日

27回忌になります。

長い年月

でも、26年前のあの日は忘れられない
入院して1週間で逝ってしまった

癌の末期
病院で宣告された時、わたしは、銀行周りを頼まれていました。
そのときは、雪まで降っていて、今振り返るとドラマのようですが、
父のところに一緒にいたい思いと信じられない思いと、やらなくてはいけないことで、感情も凍っていたようで涙もでない
大きな重いガラケイでも最新だった時代。
その父の黒い重いガラケイを持ちながら、歩き回っていました。

だれも想像もしていないことでした。
年末に調子が悪くなったものの、そんなことになるとは夢にも思わず、若かった私はスキーに行こうとしていました。

わたしは、お父さんっ子
妹が生まれてから、なおさらでした。

父は貧乏育ちで、大きな病気もしながら、苦学生でサラリーマンに、
そのころは、六畳一間で川の字で寝ていたな。

私が幼稚園の頃、公認会計士という試験に臨んでサラリーマンをしながら勉学し、朝も夜も勉強していました。
私たちのための選択だったのだと思います。

今考えると本当にハードな日常だったと思うけど、さみしい思いもしたこともなく、いつも家族に愛を贈ってくれる人でした。

お饅頭一個も全部4等分にして食べる家族でした。

早くに逝ってしまった父

母は、今でも父が大好きで、いつも父のところに行きたいといっています。
偉大な父
今でも父の友人が、母や私を応援してくれてくださったり、いつも守られていると感じます。

亡くなった後も、愛する人のために、ご縁という見えない財産を残してくれた父のように、生きたいと思う。

今日は、お墓参り。
仏花を束ねて、感謝の気持ちと共にお参りしてきました。

年月が過ぎても、やっぱり涙がでてくるんだ

そして、今はいろいろわからなくなっている母だけど、最愛の夫を亡くしながらがんばってきてくれていることに、言葉では言い表せないほどの尊敬と敬意を感じています。




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