風力発電 反対運動への挑戦状 続き 

 日本のTVは、あからさまにスポンサーの影響だろうが、民放ではNHKのように定期的に気候危機や再エネを特集する番組はまず見当たらないし、BSと地上波の違いも無い。NHKも限定的で個人的には物足りないが、民放は主要局がYouTube配信では系列局やケーブル局にさえも負けている状況。そんな中、近年は再エネの現場取材を精力的に続けているTV朝日のアナウンサーが報告していて、本人の解説は分かりやすく、お茶の間には伝わりやすいのだろうけれども、多少の歯がゆさも残る。

 例えば、最新の記事では長崎の五島列島の浮体式洋上風力をはじめ、「環境省の試算によれば、浮体式洋上風力だけで全電力供給量のおよそ2倍のポテンシャルがあるとされる 」と紹介するが、課題は文末の「コスト面や送電線など電力系統の空き容量などを考慮しない場合」という但し書きどおり。理論上は成り立つし、目標としては明白だが、実用性や実効性には未知数な部分がまだそれなりにある。最先端の浮体式に期待しつつ、すでに普及している着床式でも、どこまで出来るのかという話なら分かる。あえて、行間を読んで。

 風力では洋上の可能性なら着床式も引けを取らないし、洋上の開発があるからといって陸上の開発がなくなるわけでもない。実際、昨年末から稼働している秋田の能代の洋上風力は「沿岸部」での着床式。遠浅の海がほとんど無い日本では着床式だと陸地に近くなるし、「沖合」に離すと浮体式でしか実現出来ない。五島列島では「磯焼け」解決を見出した漁協や元「油屋」の再エネ転職をはじめ、離島ならではの生き残りや再生を賭けた「公正な移行」が実を結んだと言える。それぞれの地域や地理的条件に応じた発電方法や議論のあり方が望ましく、様々な協力や理解も欠かせない。

 ゆえに、浮体式の洋上風力を称賛する引き合いに「最近では、都会の企業が地域住民の頭越しに野山を切り開き、メガソーラーを建設し、各地で問題を引き起こしている。これは、あってはならないことだ」などと、太陽光の分野でのごく一部に過ぎない悪例を結びつけては、話がこじれる。大抵は「メガ」に満たない規模で計画や施工、運営や管理の問題が明らかで、規模が増す程、環境アセスの対象になるため、「都会の企業が地域住民の頭越しに野山を切り開き、メガソーラーを建設」するまでには相応の手続きや指導などがあるし、今時は自治体も国も黙ってはいない。叩かずにはいられないのかもしれないが、国内で再エネの普及を妨げている要因は「メガソーラー」よりも火力や原発の存在。半世紀程前の「石油危機」に由来するもので、「ベストミックス」は詭弁。

 この話で思い出したのは、福島第一原発原発事故後に注目されるようになったソーラーシェアリング(営農型太陽光)の可能性。面積で見ると既存の農地や耕作放棄地を活用するだけで日本の電力需要を満たすというもので、自然界に介入しないという点でも「脱原発」運動内で称賛の声が上がったり、今も一部の政治家が誇らしげに語るが、12年以上経っても、その普及率は僅か。というのも、ソーラーシェアリングは制度上、農業が主幹で発電は副次的なので、発電が主目的である従来の太陽光や風力とは本質的に異なる位置づけ。特性として、いわば「帯に短したすきに長し」になるが、単に規制を外せばいいという話でもない。金融機関の立場で融資による金儲け自慢ばかりの温暖化懐疑論者までいたように、構造転換に繋がるはずもなく、結局は「ぬか喜び」で終わっただけ。

 そもそも、技術力や資金力のある電力事業者や電力業界を差し置いて、全く素人である農業の従事者に発電の責任を負わせるのは著しく「不公正」だが、その主張が近年の気候運動にまで持ち込まれていることに驚く。それは解決策ではなく、ただの「責任転嫁」であり、NIMBYまたは「総論賛成各論反対」に他ならない。「可能性」とか「余地」に関しては地熱や小水力への過度な期待にも全く同じことが言えるが、現実を見ようとしない有権者や生活者、さらには活動家までもが国内では少なくない。「大規模」を避けては通れないのに。

 ちなみに反対運動の最近の主張には、風力では世界的潮流として洋上での展開を口実に陸上のを拒絶したり、洋上でも離岸距離の「世界平均」といったこじつけで浮体式と着床式ともに否定するものまである。疑似科学の「風車病」も合わせて、ありもしないことや無視出来ることまで延々と続けるので、風車を間近で見たことがない、賛成でも反対でもない層が取り込まれてしまう。そして、それはまた猛禽類や渡り鳥のことしか頭に無い団体のとも同調する。渡り鳥が風車を避けて飛ぶには体力を余計に消耗すると言うが、例えば、冬場に全く風が吹かずに雪も降らない環境なら説得力もあるのだろう。一方で、風車を思うように建てられずに化石燃料を燃やし続けているうちに気候や気象はますます厳しくなると想像するのは、そう難しくはない。時が止まっているかのような議論ではなくて。

 以前にも指摘したが、気候や生態系の危機真っ只中であっても、国内世論では「乱開発」が必ずしも火力や原発を指すのではなく、再エネにすり替えられ、計画中のも含めて風力や太陽光ばかりに非難や批判が集中し、そのせいで「メガソーラー」という言葉は、もはや発電規模を意味するのではなく、罵倒や侮蔑の用語と化し、その意図を汲む「メガ風車」なる隠語まで出回っている。本来、比較的規模の大きい太陽光には「ソーラーファーム」「ソーラーパーク」で風力には「ウィンドファーム」「ウィンドパーク」という呼称があるのだから、その習慣を取り戻さないことには、まともな議論は続けられない。

 再エネに反対する個人や団体の思いや思惑はイデオロギーから無知や無関心まで様々だが、再エネ転換を一日でも早く政治で実現するには、既存の政党や政治家、選挙の候補者や支持層が日常でどのような活動をしているのかも、あらかじめ知っておくこと。再エネよりも簡単に環境アセスの審査を通過する新規の石炭や天然ガスの火力を問題視する社会にするためには、建前に安堵するのではなく、本音で追及し、ぶつかり合っていくしかない。冒頭の記事にもあるように「これまで日本の再エネは太陽光に偏ってきた。2021年度の発電電力量に占める太陽光発電が8.3%に対して、風力発電は0.9%に過ぎない」のだから、太陽光に偏っていようが、この低さはもう言い訳出来ない。そうこうしているうちに、温室効果ガス大幅削減の時間的猶予はなくなる。


参考:

「資源は足元に!」 島を活性化させる「浮体式洋上風力」 見えた日本の再エネ可能性 2023/05/13
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000299122.html

洋上風力発電の環境影響評価制度の最適な在り方に関する検討会(第1回)の開催について 2023年05月01日
https://www.env.go.jp/press/press_01570.html

規制は強まるのか? 営農型太陽光発電をめぐる国内の規制動向 2023年05月01日
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/2305/01/news028.html

「ソーラーシェアリングはなぜ普及しないのか」という疑問を考える 2022年12月19日
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/2212/19/news060.html

日経BP メガソーラー探訪
https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00001/?ST=msb


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