植本一子『かなわない』(タバブックス)
週刊誌の読書欄で誰かがこの本のことを書いていて、気になったので読んでみた(しかし読むまでに、誰がどのようにこの本を取り扱っていたのかすっかり失念)。
写真家植本一子が24歳年上のラッパーのECD(石田さん)と結婚し、娘を2人産み、子育てしながら仕事をしている。ウェブ日記を採録していて、2011年から始まっているので、当初は放射能への不安とか、原発反対のデモに行く話が沢山出てくる。しかし、途中から、子どもが自分の思うように行動してくれないことへの怒りが抑えられなくなり葛藤する記述が増えてくる。その息苦しさは、子育てをしたことのある女性なら誰でも経験したことがありそうな感情で、わかるわかる、と思う面もあるが、一方で、この状態が、子どもとのコミュニケーションが成立する年代になっても、改善されず、1ヶ月周期の中でも、生理前のPMSでなく、絶えずそういう状態であることに、そこはかとない違和感が湧いてくるようになる。日記の中では具体的な仕事の内容について踏み込んだ記載をしていないので、仕事のクリエイティビティーがどの程度彼女を疲弊させ、それが家庭に持ち込まれているのかがよくわからない。ひたすら彼女の生きづらさ、月曜から土曜まで子供を保育園に預けなお日曜日が来ることが憂鬱、という激しい感情はどこに由来するのだろうと思う。
自分自身が育児が辛くて、夫が帰宅すると耐えかねて夫の前でほろほろと泣いたりしていたのは、専業主婦やっていて、1日24時間子どもの脇にいて「逃げ場がない」ように感じられていた時代だった。2歳9か月で子どもを保育所に入れ、仕事を始めた後は、時間のやりくりに難儀することはあっても、閉塞感とか生きづらさとかは殆どなくなった。たまにイライラする気持ちが募って自分で自分を制御できないような気持になった時は、生理前で、生理が始まった途端、あのイライラはなんだったのだ、と自分でも不思議になる位気持ちが落ち着いたものだった。『かなわない』を読み進めていると、どうやら、わたし自身の感情の起伏とは全く違うものがこの人の中には住まっているらしい、と分かってきた。
子どもと向き合おうとして、うまくいかない。保育園の先生に心配され、面談の席で泣いてしまったりする。公開されたウェブ日記上で、自分の周囲の人間との関係性について赤裸々に書く。その中で夫以外の男性に恋をし、それを夫に容認されながら、何回も何回も離婚してほしいと夫に迫る。これ公開していていいのか。何回も怒鳴りつけられ泣いている子ども達は将来これを読んでどう思うのか。読み進めれば読み進むほど闇は深まり、一方で、チャットによるカウンセリングで、自分が自分を愛せていないから、家族を愛することも出来なくなっている、と自己分析するに至る。
生活の色々な要素(料理とか買い物とか)がこまかに書かれ、石田さんが休み(ラッパーとして食べていけないのでついている仕事がシフト勤務で、休日も勤務時間も日々変わっている)の時は必ずそう書いているところが繰り返されることで結構心に残る。こどもとうまく向き合えず感情をむき出しにする描写も多いが、全体として、ヒリヒリした感じはない。最後の書き下ろしの文章「誰そ彼」で、自分の恋がどのような週末を迎えたかが淡々と描かれ、そこで突然本が終わり、不思議なほどの完結感を覚える。この家族がこの先どうなったかは必ずしもこの本だけを読んだ人にとっては問題ではない気がする。一方、この本で長生きしそう、と書かれていた石田さんは、昨年癌で亡くなっている。その生と死を、植本一子はどのように見つめ、書くのか。
あまり人に薦めたいとも思わず(だってなんとも説明しようのない本だ)、一方、Amazonの評価で酷評している人もいるけれどそこまで言うこともないのでは、とも思う、なんとも不思議な本であった。
次はこの人の写真を見てみなくては。
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