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ISDEの話をしよう。 vol.12 「今年の日本は、『日本』で走る」

かつて、ISDEはとてもハードルの高いレースだった。というのも、基本パドックは各国で用意する必要があったから、しっかりコンテナで資材を運んでいかないと、ライダー達が大変な苦労をすることになる。

2004年、はじめて僕がISDEに出たときに見たのは、こんな感じ。6日間、大所帯で、即席のパドックを作り上げた。欧州の各国は、トランスポーターで資材を搬入できるから、かなり居心地がよさそうだった。

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無期限で、利益のすべてをISDEワールドトロフィーチーム運営費に寄付します。日本のエンデューロを取材するチーム「Enduro.J」のよしな…

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