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エッセイ:どっきり体験集(1)~(10) 1.スズメバチ騒動記

[イエテ◯ソラヘ] は創作。1章~24章までの連載小説でした。ここからは、実話に入ります。

    八王子の自宅から車で23キロほど離れた、桧原村の山の斜面に、我が家の1DKの小さな山小屋があった。

 ある年の7月、庭仕事は苦手で、何も知らない私が、その庭にノースポールの花を植えようと思い立ったのが、そもそもの災難の始まりだった。

 種袋の説明を読まずに、1m四方に、ひと袋分の種を全部ばらまいてしまったのだ。ほんとは10cm四方に1~2粒でよかったのに! しかも暑さに弱く、秋に植えるのが最適だということも知らないままで・・。

 10日後に行ってみると、若芽がさも窮屈そうにせめぎ合い、土を押し上げて、緑の塚山になっていた。かわいそうに、植え替えせねばと、翌日、クワやジョロを用意し、帽子、手袋の身支度して、ひとり車で出かけた。

 L字型の階段を上り、ドアの鍵を開け、土間に荷物を置き、帽子と靴をぬぐ。それから左手の東側の窓を開け、雨戸を1枚ガラガラッと、威勢よく押し開けた。

 とたんに、うわっと何10匹ものハチが、戸袋から飛び出してきた。まんまるに体を丸めた、黒と茶の縞のやつ! 私はとっさに身をひるがえし、外の階段へL字にとび出た。
 が、すでに遅し! ひたいや髪の毛に、早くも10匹か20匹まぶれついている。もう夢中で、素手でハチを掴んでは投げ、ひっぺがしては投げした。               

 それでもこめかみ近くの髪の生え際に、3つ4つ刺された跡が手に触れた。残らずふり捨てて、戸口の方を見ると、他のハチどもは群れをなして、ドアから前方まっすぐに飛び去ったらしい。

 そう言えばニュースで言ってた、暑さのせいで、スズメバチが例年の10倍発生しているとか。村の診療所に行かなくては!

 でも、足ははだし、荷物と車の鍵は土間に、窓とドアは開けっ放しだ。戻るしかない。でも怖い! ハチはまだいるかも・・。仕方ない。あたりをうかがいながら、這うようにして忍び寄り、土間の荷物を引き寄せた。運よく、ハチどもは敵を探しに出払ったらしく、気配がない。

 雨戸は閉めず、窓だけそっと閉めて鍵をした。この木の雨戸に、キツツキが穴を3つも開けたため、ハチどもが巣を作り、自由を謳歌していたのだ!

 ドアの鍵もかけ、やっと車に戻れた頃には、毒が回ってきたのか、頭ががんがん痛み始めた。バックミラーを覗くと、顔の半分が真っ赤、半分が青い。今からきっとお岩さんみたいに、顔じゅう腫れるんだ。車を走らせながら、私は思わず知らず、口に出してわめいていた。「ハチなんかで死んでたまるもんですか! ハチなんかでぜったい、死なないからね!」

 診療所は6キロほど離れたところにあり、いつもは週3日しか開いていない。でもその夏は、連日スズメバチ被害患者が訪れるため、休診日返上となっていた。

 「2人目だ」と先生。糖尿病は? と訊かれ、ありません。血圧は?「超低血圧で、夏は上が80前後で下は40くらい、週に2、3日は70と30前後です。3ヶ月連続計測を1年4回やって、いつもそうでした」
と答えたとたん、先生がおろおろ、うろうろし始めた。
「注射か点滴ができるかな。ショックになるかも」
と呟いている。私の血圧は低すぎて、ショックは即、死につながるらしい。看護師が気をきかせて、血圧を測ってくれた。

 この時、なんと血圧 125! 生涯初の私の高血圧だった。私が車中何度もわめいたのが、効いたのらしい。先生もやっと落ち着き、じっくり時間をかけて点滴をしてくれた。おかげで顔色は元に戻り、お岩さんにならずにすんだ。
 刺された傷の痛みはがんがん続いていたが、ともかく自宅まで、車を運転して帰ることができた。

 帰り着くと、池袋の大学にいるはずの夫が、帰宅していて仰天した。今日は会議があって、遅くなる予定のはずだったのに! しかも、うちまで2時間以上かかるのに、私より先に帰ってる!
 私が診療所に駆けこんだとき、入り口にあった公衆電話で、大学の研究室事務の人に、スズメバチに刺されたことを、夫に伝えてほしいとだけ、伝えておいたのだ。
 大丈夫か、と何度も訊かれた様子からも、スズメバチに刺されることは、命に関わることなのだ、と改めて大変な事だったのだと悟った。

 でも実は、スズメバチ被害から完全に治るには、それから丸1年以上かかった。ジンマシンを繰り返し、めまいが続き、手足は冷え、水に触れるのも、テレビやラジオの音も聞いていられず、本も新聞の文字を読むのも辛かった。何より怖ろしかったのは、右を下にして寝ると、底なし沼に落ちていくような、大地がなくなってしまったような、果てもなく落下する感じがして、激しい不安状態に陥り、震えもがいた。

 病気とか死は、ひとりで立ち向かわなくてはならない孤独なものだ、と痛感した。家事は義姉に頼み、週一度の大学通勤だけ、なんとか頑張った。あれはきっとPTSD(心的外傷後ストレス障害)だったのだ。命の瀬戸際を体験した後遺症だと思えた。

 病院で処方されたデパスという精神安定剤を、1日3回}飲み続けたために、脱毛が激しかった。その上、薬をやめかけると、幻聴や幻覚が起こり、気長に徐々に減らすしかなかった。(この薬は2016年、厚生省により、麻薬と同じ精神障害を起こす、規制対象に指定されたが、ジェネリック薬が、今も多数売られているそうだ)。

 そんな病院での治療よりも、夫が私を散歩に連れ出し、いっしょに八王子巡りをしてくれたことが、私にはずっと役立った。熱いペットボトルを両手に抱え、高尾山や寺や路地や川辺を巡り歩いた。おかげで手足が温まるようになり、家事に戻れるようになった。

 桧原の山荘には、以来、ずっと近づけないままだ。二度目のハチ騒ぎは厳禁、と複数の医師に言われているからだ。2019年に更地にして、ハチの脅威は薄れても、まだ行けないままでいる。

 この体験で気づいたのだが、虚弱体質で弱虫の私と思っていたけれど、いざとなると案外気力があるみたい。こんど大きな病気になった時、病気なんかに負けてたまるもんですか! とわめけるといいな、そうなれるように、気力を持ち続けていたいものだ。





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