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(私のエピソード集・21)コーケントーの話

この「光線治療器」を紹介されたのは、28歳の時だった。未熟児の男女の双生児と、次男の3人を抱えて、高校講師をしていて、実際、箸を持つのも大儀なほど、くたびれていた。

はた目にもよほど疲れて見えたらしい。同僚で女子大の先輩が、強くすすめてくれて、当時5万円で購入した私のために、八王子の我が家まで、付き添ってきて、使い方を教えてくれた。

それから40数年(今は2台目で、2003年に10万円で購入)、体調が悪くなると、説明本や販売先の光線研究所に、問い合わせて使ってきたが、どれほど助けられたことか!
胃痛・腹痛・風邪・疲れ目・円形脱毛症・皮膚病・水虫・便秘などなど。他にも多方面で使えるが、少なくとも、体を温め、血流を促し、エネルギーを注いでくれて、免疫力向上していることは確かで、超低血圧で虚弱な私が、81歳まで生きられたのも、この器械が大いに助けてくれていると思う。

この先輩は女子大生の頃、重い結核に苦しみ、20歳まで生きられまいと医師に言われたが、その時、だまされたと思って使ってごらんと、伯父がこの器械をくれたという。

家族は怪しみ、こんなもので重症の結核が治るはずもない、と手を出させなかったが、飼い犬が具合悪くなった時、試しに光線を当ててみたら、元気を取り戻したり、へたばっていた鶏に当てると、立ち上がって元通りになったのを見て、彼女も使うようになったとか。
根気よくかけ続けて完治し、卒業して結婚もかない、4人もの子に恵まれていた。

彼女とはご無沙汰しているが、同窓会誌での近況によると〈寿命20歳〉のはずが、90歳を越えて、ご息災のご様子! 彼女は健康保持のため、一日も欠かさずかけているとのこと。4人のお子さんたちの結婚時には、この器械だけを贈り、その他の支度は、各自に任せたのだとか。

私が使い始めた頃、夫はみえ子の高級おもちゃと称して、信用していない風だった。ところが、彼ひとりで甲斐駒ケ岳に登って、遭難しかかり、一夜のうちに、血を吐く急性胃潰瘍になった時、医者には診断名と薬だけもらい、後はコーケントーを独り占めして、毎日かけ続け、2週間ほどで回復できた。

さらに、恩師のご家族からの電話で、恩師がガン末期の危篤状態と知ると、夫はすぐに新宿にある光線研究所で一台購入し、その足で掛川にある病院まで担いで行くと、担当の医師の許しを得て、病室に持ちこんだ。後にご家族から、恩師は3ヶ月ほど永らえたとか、痛みの苦しみが和らいで、安らかに逝くことができたと、感謝の電話を受けた。

そんな次第で〈高級おもちゃ〉は〈健康回復器〉に昇格、認知され、私が疲れてくると、夫は光線器を使えば、と口添えするようになり、起きぬけにかける私のため、私の朝食の準備をしてくれている。

もうひとつ記しておきたいのは、倉敷在の当時37歳だった兄嫁が、生理不順と生理痛に悩んでいると聞き、一台購入して贈った。一年続けているうちに、順調になったばかりか、初めての子を授かり、39歳の高齢出産ながら、無事女児を得た。

研究所から、2ヶ月に一度送られてくる『光線研究』というミニ新聞で、不妊に悩んだ人がこの治療を受け続けて、子を授かった話を読んだことがあるが、身内に現実に実現したのは驚きだった。

治療には、丸エンピツ大のカーボンを2本、電極に差しこみ、電流を通してカーボンを燃やし、その光線を〈足裏〉〈膝〉に5分~10分あて、後は治したい部位によって当て方は変わってくる。カーボンも数種類あって、病名により組み合わせ方が変わる。私はたいてい3000と5000、または3001と5000を使っている。それらの使い方は、黒田一明著『可視総合光線療法 理論と治験』に従っている。

〈光線研究所〉を開設した故黒田保次郎氏は、大正から昭和の初めにかけて、千葉で米穀肥料商を営んでいたが、身近な人が光線治療器で、回復するのを何度も見聞きして驚き、「医師に余命なしと宣告された患者3名が完治したら、〈光線治療業〉に転職しよう」と心に決めたそうだ。

実際に3名が完治したので、上京して開所し、以後は、動物や植物の実験をしたり、太陽光線の研究者たちに教えを乞い、可視光線研究を深めていった。彼が遺した『病気にならない光線』の中で、さまざまな病への効果を実証している。

現在は息子の黒田一明氏が医学博士となり、新宿区大久保にある〈光線研究所〉の所長として後を継いでいる。

健康保持のためのサプリメントや漢方薬など、いろいろ試してみたが、私は医師に特異体質と言われていて、アレルギー体質でもあり、反応が出たり、強すぎて害が出てうまく合わなかった。

コーケントーは全身の血流をよくするのが基本という、原始的だが、理にはかなっているように思われ、私にとっては、安心して長続きできる健康法だった。向き不向きはあるのかもしれないが、必要なのは、治したいという切実な思いではないか。私には足りなかった〈根気強さ〉も、いつしか育っていて、少しは身についてきたようなのも有難い。

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