見出し画像

(146) 遠い目

「本当にお願いしていいかしら?」
電話口で念を押す幼友達の和子に、星さんは請け合いました。
藤沢から月に二度、一人暮らしの老父を見舞っている彼女が、足をくじいてしばらく出かけられないでいるの、気になって仕方なくて、と言うのです。午後の二、三時間、彼女の代役をするくらいの暇はありました。

早速ミルクゼリーを冷やし固めて手みやげにして、その日、本町の路地の奥の家を訪ねました。

開け放した窓から、テレビに向かっている老人の背が見えました。耳が遠いらしく、最大ボリュームです。何十年ぶりね、おじさん。高校生の頃まで、この家にはよく訪ねていて、和子とおしゃべりしたり、勉強をしたりしていたのです。


!遠い目


懐かしさに星さんは、構わず部屋に上がって行き、こんにちは、と大きな声で言いながら、その肩に触れました。

ゆっくりと振り向いたその人の目に、思わず星さんは立ちすくみました。 うつろな遠い目! 誰にも心を閉ざしたような・・。あ、と思い出す場面がありました。

家の建て替えのために、アパートに移り住んだ間、飼い犬だけは元の敷地の物置につないで、エサを運んだ、あの時のプチの目と同じ! 見捨てられた、と思いこんだような・・。家が建ち、共に暮らすようになると、その目に光と生気が戻って、ほっとしたのでした。

「覚えてます、おじさん?  和子の友だちの美奈ちゃんです。和子は足をくじいたんですって。私のこと、覚えてるでしょ、お祭りの時、トウモロコシを4本も食べて、おなかをこわしたあの美奈ちゃん・・」

大声で次々に幼い日のエピソードを語るうちに、おじいさんの目が少しずつ蘇ってきて、星さんをしっかりと見つめました。

「おう、美奈ちゃんか!」

「そう、美奈ちゃんよ、よかった。これから何度でも会いに来ますよ。和子の足が治ってもね!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?