見出し画像

  3-(1) 母の心配

夏休みに入って2日目の朝、マリ子が目をさますと、ジーッ、ジーッとせみの鳴き声がすごかった。かべの時計は6時だ。

家の前の道を、ペタペタと地下足袋の音がいくつも聞こえる。朝早くから〈イグサ刈り〉が、村中で始まっているのだ。村の人だけでは刈り手が足りず、四国や山陰から〈日雇いの人夫〉を毎年頼んでいる。このあたりでは、〈日傭=ひよう〉さんと呼ばれていて、家によって、2人とか5人とか、やとう人数はちがっている。

日傭ひようさんたちは今、イグサをずっしり積んだリヤカーを引いて、田んぼからゆるい坂道を家まで運んでいるのだ。フッフッと息の音さえ聞こえている、

「マリちゃん、起きてっ、林さんちへ行くんじゃろ」

おかあさんが階段の下から呼んだ。

マリ子ははね起きた。今日から〈子守さん〉になるのだ。夏休み前から、 お寺の階段近くにある、カキの木わきの林のおばあさんに、声をかけられていた。地区のたいていの家が農家で、子どもたちは自分の家の手伝いをするので、よその家の子守まではできない。非農家のマリ子は、貴重な手伝い人になれるのだ。

大急ぎで朝食をすませ、マリ子は麦わら帽をつかんで、飛び出そうとした。

「どうにも困ったら、正太さんちにおいでね」

おかあさんは食事作りに、正太さんちの台所を手伝うことになっていた。

おとうさんは高校の野球部部長で、夏休みも毎日出勤だ。甲子園を目指しているのだって。ひ弱なお兄ちゃんは、どこからも声がかからず、ひとりで 留守番だった。

「おかあさんとこにゃ、ぜったい行きゃせんけん!」

と、宣言して、マリ子は飛び出した。おかあさんは夕べあれほど〈おむつかえ〉の実習をさせておきながら、まだマリ子を信用できないらしい。あたしにだって、子守くらいできますよう、だ。

「とにかくハイって、返事するんよ。命令されたって、思わんことよ」

おかあさんのその言葉は、マリ子も実は自信がなかった。人に命令されるのが、大きらいなんだ。だれかのけらいになるくらいなら、聞こえないふり して、知らんぷりしていたい。しばらく時間をおいてから、自分でこの仕事をしたいんだ、と自分で思いついたみたいに動き出す。そうしないと、自分が自分でなくなるみたいな、居心地の悪い気分になる。自分でもやっかいな くせだと、わかってるのだけど・・。

よその家で手伝いするのに、命令されたくないなんてむりだわ、と夕べ  おかあさんは、心配のかぎり心配したのだった。

「マリ子は素直じゃけど、がんこじゃけん」
おかあさんはそう言って、ため息をついた。

林さんの家まで行く道の両側には、なわが張りめぐらされていた。今日の うちにも、道路がイグサの干し場になるのだ。

林さんの家の庭にも、〈生=なま〉と呼ばれるぬれたイグサが、もう何列か干してあった。仕事は明け方の暗いうちから始まっていたのだ。

「おはようございまあす」

土間に入って行くと、台所からおばあさんが、走るようにして出て来た。

「よろしう頼むわ、マリちゃん。あつ子も赤ん坊もまだ寝とるけん、台所で火燃しの 手ごうてつだいしてくれる?」

マリ子はうなずいて、喜んでおばあさんの後について行った。これは頼まれたのだもの。

奥の広い台所の中は、すでに熱気でムンムンしていた。広い食卓の上には、湯飲み、漬物ばち、煮物皿、佃煮つくだにの箱、やかんなどでふさがっていた。

2つのかまどの下には、火が燃えていた。2つの七輪にも鍋がかけてある。

おばあさんはすぐに、お釜のアズキをねる仕事に戻った。

「イ刈りの間は、1日6回食事するけんな。えーと、今日はマリちゃんも 入れて9人分じゃ。子どもら入れたら11人分じゃが」

おばあさんは笑って、汗を拭きながら、またねり続けた。3時の〈お茶ず〉に、ぼたもちをふるまうのだって。朝の涼しいうちに、アズキあんの準備をすませないと、昼間では暑さ負けしてしまうのだ。

「最初の日じゃけん、ごっつおごちそう して、喜んでもらわんとな。    よそん家とくらべられるけん」

おばあさんは、しゃきしゃきと元気な口ぶりで言って、笑った。もち米の炊き上がるいい匂いが、台所中にたちこめていた。マリ子はまきをくべながら、うれしくなっていた。



 [ 画像は  欄紗理かざり 作 ]


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?