3章-(8) 水の話
今日の出来事の中で印象的だったのは、国立公園内での美術館のトイレで、旅行者らしい女の人が、持参のポットに洗面所の水を汲み入れていたことだ。
ウイルに訊いてみた。
「ここの水道水は飲めるの?」
「もちろん飲めるよ」
と言うと、即座に蛇口に口をつけて飲んでみせた。そして、力をこめて確信的に言った。
「今はヨーロッパのほとんどどこでも、水道の水は飲めるよ。この10年 くらいはそう」
すると、ハトルが言い添えた。
「イタリアの一部は無理ね。フランスの南も無理。アムスは低地だから、 飲まない方がいい」と。
私は東京のオランダ観光局の人が、「オランダでは、水道の水は飲むな。 湯沸かし器を持って行け」と忠告してくれたことを、2人に伝えた。それで湯沸かし器を持って来たが、3日目に故障したため、宿の女主人に頼んで 湯を沸かしてもらい、そのたびにチップを上げていた話をした。
するとウイルが大きく頷いて言った。
「それで昨日、ミコはポットを持ち歩いて、飲んでいたのね」
これは誤解が解けた瞬間だった。たぶんウイルはひそかに気分を害していたに違いない。
実は昨日、全員でホイスデンの村へ行った時、私は暑い中を歩いているうちに、目がくらんでへたりこみ、ポットを取り出して飲んでいるところを、 ウイルに見られたのだ。その時の彼女の表情に、私は気がかりを覚えた。 どうもその時から、彼女が素っ気ない態度をとるようになった気がしてならなかった。お茶の時間でも無いのに、私ひとりで飲んだことがいけなかったのか。こちらではポットなどを持ち歩かず、カフェに座って飲むまで我慢すべきことだったのか、と気が咎めていたのだ。そう言えば、誰ひとりポットを持ち歩いている人などいなかった。
「水道の水が飲めるのなら、どうしてわざわざカフェで、ミネラル・ウオーターを買って飲むの?」
と、思い切って訊いてみた。ウイルはこう答えた。
「炭酸入りスパーのように、泡の出るのを飲むと、気分爽快になるし、好きだからよ。でも、ほんとのことを言うと、会社のコマーシャルに乗せられてるところもあるね。ミネラル・ウオーターの方が、栄養があって、体にいいと宣伝されてるけれど、私は信用していないの。どこか深い所の水を汲んでるとも言ってるけど、水道水とあまり変わりないと思うし、信用できない」
聞いていたアンナが、思い出したように口をはさんだ。
「コカコーラは最初、飲んだら病みつきにさせるため、少量の麻薬を入れてたそうよ。世界中に広まって、すっかり定着してからは、そんなことはなくなったそうだけど・・」
どこまで本当かはわからないが、いかにもありそうな話に聞こえた。
日本では〈水〉はどうなの?と訊かれ、女性皆の集中視線を浴びたので、
「山がたくさんあって、木々も多く、水は豊かでおいしいの。だから昔から〈茶道〉というお茶の飲み方の作法まで、発達しているの」
と、説明したけれど、〈茶道〉の話は余計なことだったようで、想像もつかないらしく、皆きょとんとしているだけだった。
日本では、私の若い頃〈茶道〉は、花嫁修業のひとつのように思われて いて、あの面倒な手順を、夫人達の前でやってみせたら、どんな反応を示すか、想像するだけでも愉快に思えた。私自身は中学高校共に、読書に夢中 だったし、母は私には無干渉、ほったらかしだったので、花嫁修業は何ひとつしたことはない。6歳上の姉は、花道、茶道、ピアノを母にすすめられ、習っていたものだが・・。
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