見出し画像

2章-(2)許せない怒り

何もかもが、ほんのひと月あまり前の、あの3月3日の大事件の日に         つながっているのは、みゆきにもわかっている。

許せないのは、あの豪快で太っ腹なはずの土屋のおじさんと、気前のいい  派手好きのおばさんが、幼なじみの父に、5千万円もの借金を残したまま、何の詫びの言葉も別れの挨拶もなく、消えてしまったこと。

みゆきにとって、どうしても許せないのは、親友だった明美までも、いくつもの約束をふみにじって、メールも電話もくれずにあの日消えてしまった こと。みゆきに返すはずのゲーム機代の3千円も、返さないままで・・。

家族ぐるみの5年間の親密なつきあいが、一夜でくずれてしまった。   そして、父と母の仲まで危うくなって、別居暮らしになってしまった。

みゆきはこの1ヶ月ほどの身辺のあまりの激変に、気持ちがついていけず、思い返すたびに、どうしてこうなるの、と地団太ふみたくなる。心がねじ くれて真黒になってしまいそうだ。自分にこれほどの怒りや恨みのどす黒い感情が、ひそんでいたのかと、自分でも驚くほどの激しさだった。そして 最後にきまって行きつくのは、やり場のない怒りのわめきだった。

 (ふん、だ! あの人たち、貧乏に苦しんで、不幸になればいい!)

今までに何度呪ったことだろう。呪いを胸につぶやくたびに、刹那的に活力が燃え上がる。その勢いで、みゆきはどさっとへやに下りた。

台所テーブルの上に、夕食用の千円札と硬貨が重ねてあり、みゆきの朝食が盆にのせて置いてあった。夕べのハムサラダの残りと、シリアルに牛乳が そえてある。

アパートの向かいにあるスーパーマーケットのおかげで、この一週間、父娘の食事は、なんとかすませてきた。でも、みゆきの食欲は落ちるばかりだ。

机のはしの丸いめざまし時計が、7時50分をさしていた。

ひとりで姉のお古の制服に着替えながら、また悔しい思いとイライラがこみ上げてくる。グレーのブレザーに、紺色に細く赤と黄色の格子の入ったひだスカートで、ほんとは、みゆきには憧れの制服だった。

明美の強引さに負けて志望変更したりなどしなければ、今ごろこの制服を 活かして、お姉ちゃんといっしょに、憧れの学校に通っているはずだった。自分の気の弱さの結果だとしても、それだからこそ、よけいに恨めしい。 自分自身に腹が立ってならないのだ。なんで、人の言いなりになったのよ!こんなの、2度と嫌だっ!

第2希望であったにしても、何事も起こっていなければ、今ごろ土屋明美と〈香園女学園の中学部〉に、おそろいの制服で通い始めているはずなのに。

結局、明美たちの夜逃げのとばっちりで、みゆきは私立中学をあきらめる ことになり、予約をすませていた制服までキャンセルするほかなかった。

3月も末になって、みゆきの入学先が、東京郊外のH市の市立第4中学校と決まったのは、父の転勤校と同じ市内で、わりあい近かったからだ。あまりの急で、まだこちらの制服その他の教材は、何も整ってはいなかった。

むしゃくしゃ気分のまま、出がけにカギをかけようと、何度やってもうまくかからない。このおんぼろアパート! 指が痛くなったじゃない!

みゆきはぷいと背をむけ、歩き出した。カギはかぎ穴にさしこんだまま。 どろぼうが入るなら入れ、だ。盗る物がなくて、同情されるね、きっと。

そのとき、大がらの女の子がドスドスとスニーカーの音を立てて、道の方 から近づいてきた。

「ちょっとお待ち!」

そいつがみゆきの肩を押さえつけた。と思うまに、もう片方の手で、そいつはカギに取りついていた。カチャッと音がした。

みゆきはむっとする。自分の無器用さを見せつけられた気がした。

「ほうら、かんたん!」

そいつがふり向いて、にいっと笑った。

 (よけいなおせわよ。頼みもしないのに)

みゆきはますますイライラして、礼も言わずに歩きだした。なんで見も知らない人が、うちの鍵をかけたりするの。近くでこっそり見てたのか?朝からのむしゃくしゃに、またひとつ重なってしまった。

みゆきが目ざす中学は、さくらアパートから800メートルほどの近さに ある。並木道をまっすぐに行けば、左手に3階建ての校舎が 見えてくる。迷いようもない簡単な道すじだった。

並木ぞいに中学へ向かう生徒たちは、グレーのブレザーの制服を着て、にぎやかにつれ立って、笑いあっている。入学式の晴れがましさや緊張感がうすそうなのは、同じ公立小学校からの顔なじみなのだろう。

みゆきは自分がまったくそぐわない場所に、迷いこんだ気がしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?