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 6章-(1) それから5年後

15歳になったかよは、5歳のおつる様の手を引いて、毎朝小学校へ出かけるのが楽しみになっていた。2人は見るからに顔や姿がよく似ているのだが、かよはおつる様と呼び続けていた。2人とも、おくさまのはからいで、つむぎの着物に、つるは黄色のへこ帯を、かよは半幅の帯で、遊びやすくしていた。おくさまは今では、門の階段の上 まで見送りに出られるほど、丈夫になられている。

おつる様はかわいいだけでなく、利発な子だった。洪水で亡くなった優美様の小型の琴を見つけて、習いたいと言い出して、琴の師匠に来てもらい、習い始めている。おくさまは涙ぐまれたほど喜んでおられた。学校で習う文字もすぐに覚え、家では習字の師匠にも教わっていた。かよは習字はいっしょに教わったが、琴は側で見守っているだけだった。

お屋敷内外の人々のそれぞれに、大きな変化が起こっていた。

旦那様は選挙で応援された太田強が当選されて、国会議員となられたので、倉敷の選挙支部長として応援を続けられ、時折、東京へ出張もされる。できて間もない倉敷の商工会議所にも加われて、役員の一人としても、忙しそうだった。いつもお抱えの人力車に乗って出かけられる。次男の祥造様は、大手の銀行員になられ、3男の宗俊坊ちゃまも、東京の慶應義塾に進まれ、最終学年に入る年だった。

台所ではおキヌさんは保と、おトラさんは娘と共に住み込みで続けていたが、おシズさんは今では、なんとあばれの作造の妻となっていた。それも、あのスイカが大豊作となった年に、作造が大きなスイカを台所に届けた時、おシズさんが受け取ったものの、あまりの重さに取り落として割ってしまい、それが縁となる始まりだった。

作造は旦那様に改めて最上のスイカをと、台所にもう一度届け、おシズさんと話を交わすようになり、2年後に作造が妻にと申し込んだ。みさが まだ嫁入り前の話だ。

作造が旦那様の反対を押し切って、スイカの苗を田の畦に植え回ったその夏、田んぼ一面にごろごろと、たくさんのスイカが実った。それを倉敷の 町の数軒の八百屋に売りこみ、収益の半分を旦那様に納めた。梅雨は短く、良い天候に恵まれ、作造にとっては幸運な年となった。旦那様にとっても、極上のスイカと収益を得て、しかも作造が機嫌良く、自分に収穫物を届けてくれるという、思いがけない年になったのだった。

ただし、スイカ作りはその年だけにせよ、翌年からは、その田に米を作るか、イグサを植えるか、田んぼとして返せ、と旦那様は作造に厳しく言いつけた。作造は悔しがり、文句を言い続けたが、翌年は梅雨時の大雨が続いた上に、台風も早くからくり返し襲って来て、スイカを植えていたら、大損 必定の天候となったため、さすがの作造も、旦那の言に従って、米にして  おいてよかったと、肝に銘じていたのだった。

旦那様は作造の鶏小屋作りを見て、物作りの才能を認め、屋敷の細々した 修理や改装などを頼むようになった。それが作造をおとなしくさせるひとつの手であったし、おシズとの再婚を、頼みに来た作造に、3年前に認めたのも、あのあばれの作造を身内同様にして、小作人を先導する騒ぎを起こさせないための策のひとつでもあった。

おくさまは、おシズのために、嫁入り道具と着物を用意して送り出した。

おシズさんの代わりに、新しく下女として、おトラさんの村から、17歳のおキヨさんが台所に入り、主に家中の掃除その他の雑用を、担当することになった。

啓一は13歳となり背も伸び盛りで変わらず働き者だった。作造おっちゃんに頼んで、保の滑車つき板車を作ってもらい、それに綱をつけて引っ張って、村中を散歩させてやっている。保が自分で棒を使って地面をこぐようにして、庭で向きを変えて、動き回る練習もくり返している。そのうちに自分で、学校へも行けるかもしれない、と期待しながら。

啓一は卵売りを本格的に始めていた。倉敷の町の八百屋、乾物屋、なんでも屋に卵を置かしてもらうようにし、売れれば6割もらうことにして、残りの卵は背負子のかごに入れて、一軒ずつ売り歩くこともある。近所で売る時は、板車に乗った保といっしょに回った。麦わら帽子をかぶった保が、板車の上で、にこにこしている姿を見るだけで、おばさんたちは卵を余分に買ってくれた。

鶏小屋は元の鶏小屋の脇にもうひとつ、作造おっちゃんに作ってもらった ほど、鶏の数は順調に増えて以前の4倍近くになっていた。保がもちろん、餌と水やりの手伝いをしてくれた。

ところで、みさとかよのあんちゃんだが、この縁談には、かよのとうちゃんが誰よりうるさく、作造と親戚になるのを嫌って、こじれそうになったりした。でも、2人の仲のよさは誰の目にも明らかだったし、とめ吉やすえが〈みさねえちゃん〉と呼んで、懐いていた。みさがかよのとうちゃんに、 正月間近に手造りの丹前を縫って届けた時に、とうちゃんもついに折れたのだった。

みさは自分で決めた通りに、15の春に18歳のあんちゃんの嫁になり、 今では三の割の家に、とめ吉たちと同居している。

かよの里帰りは、今では月に1度となっているが、帰ればみさと弟妹に迎えられる。狭い家だが、みさがいつもきれいにして、庭で野菜を作ってくれている。

作造とうちゃんがみさのために、差し掛け部屋を手造りしてくれて、みさが作るつけ物や味噌樽を入れたり、あんちゃんが開墾の時ためこんでいた倒木や根っこを薪に割って、薪置き場にもなった。

かよは三の割に帰るたびに、シカ婆の墓参りをしている。亡くなってもう 4年経ってしまった。今では、シカ婆を最期まで看取った嫁さんのツネさんと、仲よくして、お屋敷からの土産物を届けたり、お返しの頂き物をしたりしている。 

  (画像 蘭紗理かざり作)

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