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O君受章の詳しい話

今朝は8時40分に家を出て、藤沢の辻堂駅に出迎えてくれる〈A君見舞い〉と称する会へで出かける予定で、7時半頃に、旭日○○章受章したO君にTELを入れた。詳しく受章の場がどんな様子だったか聞いておきたかった。今日集まる同期の仲間に話して上げたかったし。

O君は散歩に出ていたのか、TELを返してくれたのは、8時10分過ぎ頃だった。その話は、初めて聞くことばかりだったから、聞き入ってしまって、終るとバスにやっと間に合う時間だった。

話があちこち飛びながら、なんとか聞き取れたのは、こんな具合だった:

「何人くらい集まったの?」
「全部で100人?くらいらしいが、『三田共用会議所』に集められたのは55人くらいだった。〈大勲位〉をもらう人たちは例外で、ここには出席 せず、天皇から直接手渡されるそうな。それ以下の位の中勲位、小勲位などの人達が『三田・・』へ集まったんだ」

上京する前に、「10枚以上」入った封書が届いた。

[叙勲が決まりました]とだけ書いてあって、自分が何と言う勲章をもらえるのか、何も書いてなく、わからなかった。いろいろな注意事項が書き並べてあった。

・9時30分~10時までに、『三田共用会議所』へひとりで来ること。(車椅子の場合は付添いと共に)

・男性は「モーニングを着用。但し、ポケットに白ハンカチを入れない  こと。ポケットから3cm下へ、勲章をつけるので」
「和服の場合は、紋付き・羽織・袴で」

・女性は「和服は訪問着に白の○○ (O君は思い出せない様子。半襟か?帯締めかな? 私も見当がつかない!)
(ドレスの件は、O君は何も言わなかったのは、覚えていないのかも)

・飲み物は用意するが、食べ物はいっさい用意なし。(全てが終ったのが 4時近かったので、腹ぺこで、くたびれ果てた)

・10時10分前に、財務省の長官を初め20人くらいがみえて、ひとり ひとりに勲章と勲記(=賞状)が配られた。秘書がモーニングの上、ポケットから3cm下へ勲章を付けてくれた。

・解散まで、皇居内で、写真撮影はいっさいしないこと。

・勲章を身につけた後、全員でバスに乗り、皇居へ向かった。

・皇居の豊明殿へ連れて行かれた。居並ぶ総務省の55~56人と、天皇に拝謁。

(ここで、O君は豊明殿の、落着いた雰囲気の、近代和風日本調の建物の 素晴らしさに驚嘆。広さと天井までの高さ、シャンデリア。すべての木材が節のない国有林から入手したヒガ杉?が使われている、と。「伊勢神宮みたいに?」と返すと「そうそう、あんな感じ」と言ってた)

・O君は前から3列目の、天皇の真正面の位置に立つことになった。

・驚いたのは、天皇のお言葉が先にあるかと思っていたが、受章者の代表者がお礼の言葉を先に、短い文章で述べたことだった。その後、天皇が懐から奉書を取り出し(祝いと慰労の?)言葉を読み上げられた。

・終ると、別室で(記念?)撮影が行われ、3時半過ぎ、国税庁へ。O君は「まてよ、わしは町造りや納税意識高揚に取り組んだせいで、財務省から章をもらったのに」と思った。

・役所というのは、縦割りで、繋がりがどうもようわからん。

・そうそう、着替え室はあった。

・友だちづきあいの現厚労省大臣の、加藤勝信氏がTELをくれたので、「わしは何と言う章をもろうたんじゃろうか?」と尋ねると、ちょっと待てよ、と秘書に調べさせてくれて『旭日双光章』を貰ったのだと、判明した。

・もうひとり、岡山から双光章を貰った人がいたが、別室だった。銀行関係の人だったので、金融省関係らしい。

・皇居はトイレには困る、と聞いていたが、あちこちに用意してあった。

・モーニングには、いろいろ手入れが必要じゃった。息子の結婚式の時着たきりじゃけん、太さや長さやいろいろとな。

・コロナ対策には、厳重じゃった。(もうひとりのYさんはかかったけど)

など、思い出す限りの話を途切れ途切れにしてくれて、なんとなく様子は わかった。こんな風にして、毎年「授章式」が行われているのだな、とおぼろげにわかって、面白かった。

実際には、A君のお見舞い会で食事をしながら、ほんの一部を伝えられた だけだった。A君の病状の話や同級生の誰彼の話にはずんで、O君は東京の 仲間たちとはずっと遠い存在になっていたからかもしれない。私にとっては懐かしい幼友達だけれど・・。


(しばらくお休みさせて頂きます。今日の暑さには、ほとほと弱りました! クーラーをかけて、翻訳の見直しにかかります。皆様 どうぞお大事に!)

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