(36) バンザイ!
受話器を片手に、駐在さんは張りつめた顔で、相手が出るのを待っていました。ひょっとして、これは大きな事件かもしれません。どう見ても、あれはあやしい。物取りか乱闘か、あるいは乱暴したあげくの誘拐か?
ベルが鳴る間も、現場の状況が頭にちらついていました。川の土手に乗り捨てられていた新しい自転車。河原の踏みしだかれた草地に、片方ずつ散っていた黒の革靴。
革カバンの方は、水ぎわすれすれに吹きとんでいて・・。
「もしもし、坂下ですが」
やっと出ました。若い女性の声です。
駐在さんはさらに緊張しました。奥さんです。きっと夫の身に何事かあったことを、まだ知らないのでしょう。
「警察の者だが、ご主人は夕べ帰られましたか?」
「はぁ? ああ、兄のことですね。タクシーで真夜中にもどりましたが、 それが何か?」
兄さん、起きて! 二日酔いなんて言ってらんないよ。警察からよ!
「えっ? ご在宅ですか? では、あの遺留品は? 署の方に預かってるんだが、どうも格闘したあとか何か、あったようで・・」
駐在さんが納得しかねる口調で、現場のようすをくわしく話すと、電話の 向こうで、笑い声がはじけました。
「すみません、兄の悪いくせなんです。うれしいことがあると、よっぱらって騒いでしまうの。川原でわめいたり、はだしになって、ホッテントットの踊りだなんて・・」
兄さん、ねぼけてないで、お詫びをなさいよ、早くっ! おまわりさんよ!
「いやいや、事情がわかれば・・」
ほっとした駐在さんの耳に、明るい声がひびきました。
「夕べ兄に、初めての女の子が、生まれたものですから」
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