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 10-(9) パンのなりゆき

校長先生はふむふむと聞いていたが、ちょっとせきばらいをして、表情を変えた。

「・・ところで、ご父兄からの電話で、このわしも初めて知ったんじゃが、田中先生のパンのことじゃ。パンが食べられんとは、先生は今までさぞ腹がへっておられたじゃろう、と同情したところなんじゃ。どうかな、これからは先生に、弁当を持ってきてもらうことにしたいんじゃが、みんなも承知してくれんかのう・・」

うわあ、とクラスがどよめいた。

先生だけ、ずるーい。
ええがな。

その両方の声がした。マリ子は思わず声を上げた。

「そんなら、生徒もきらいなものを、食べんでもええんですか?」

言ってしまってから、マリ子にはきらいなものがあったけ? 何もないん だった、と気がついた。

校長先生はぐるりと教室を見まわして、わかってほしいがな、という表情でこう言った。

「それじゃがな。身体が大きうなりょうる最中の君たちは、なるべく何でも食べた方がええんぞ。全部君たちの身体の一部になって、大きうに賢うに してくれるけん。好ききらいを残したまんま大人になると、田中先生みたいに、困った立場にもなったりするんじゃ」

田中先生はうつむいたまま、苦笑いをしている。その耳まで赤黒くそまっていた。

「と、えらそうなことを言うてしもうたがな・・じつは、このわしにも、  嫌いな物があるんじゃ」

校長先生はないしょ声になった。

なに? おしえて?
なんじゃろ?

「すっぱいもんが、どうも苦手でな。夏ミカン、スモモ、イチゴ、すし、 ままかり・・」
言いながら、先生は早くもすっぱい顔になった。それがおかしいと、大笑いになった。

「校長先生、イチゴがきらいなんか!」

大熊昭一が半立ちになって、聞き返した。

「そうなんじゃ。給食に出ることはないけぇど、もしも出たら、君にゆずっちゃろかの」

机をたたいて喜ぶ昭一に、またみんな笑った。マリ子がふと見ると、田中 先生が顔を上げて、いっしょになって笑っていた。マリ子は胸のつかえが 取れたような気がして、拍手してしまった。


こうして4年の2クラスは、翌日からようやく元のように平静になった。
と言っても、2組では元通りとは、どこか少しちがっていた。田中先生は 自信をなくしたみたいに、うつむきがちで、考えながら言うことが多くなった。男子の乱暴は、ほとんど目立たないほどになった。

給食の時には、先生は教卓で、ちょっときまり悪そうに、アルミの弁当箱を開く。腹っぺらしの生徒たちは、先生のパンまでわけっこして平らげた。 好ききらいのある生徒はめったにいないけれど、それでも、大っぴらにゆずりっこする者もいた。

ブロマイドの方は、ぶじまゆ子たちの手元に戻って、大事にかばんにしまわれた。マドロス姿の大空ますみの小さな1枚が、マリ子の机の前にもはって ある。まゆ子がどうしたわけか、気前よくマリ子にくれたのだ。

大荒れの3日間は、こうして台風一過のように、いくつかの変化を残して
晴れた青空を迎えていた。

〈さんりんぼう〉って、たしかに悪い日の起こる日にちがいないけれど、 悪いことって、ずうっと続くわけじゃないんだな、とマリ子は気がついた のだった。

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