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5章-(6) 志織姉は帰国主張

その晩電話室の電話にかかってきたのは、ママよりも先に、アメリカの志織姉からだった。

「香織、あの件は何もかも終ったって、報告したかったのよ。ジェインの ご両親にお礼を言われて、ジェインの形見の品のバッグや服を頂いたの。 相手の男性はジェインのご両親に、謝罪に来たし、ジェインの墓参りもしてくれて、ご両親はようやく気を取り戻したようよ」

おねえちゃんは、まだパパの入院も手術も知らないんだ、と香織は気づいて姉の言葉が途切れるのを待った。どう言い出そうかと、言葉を探している うちに、沙織に聞かれた。
「最近はどうしてるの?  今もあのアジサイニットを続けてるの?」

「おねえちゃん、ちょっと待って。ニットは続けてるけど、今、パパが大変なの。くも膜下出血とかで、救急車で運ばれて、入院して検査の後、手術がすんで集中治療室にいるのよ」

「えっ? パパが? 私、すぐにも帰らなきゃ。ね、どうなってるの?   どんな具合なの。香織は寮にいるままで、帰らないの?」

「ママが、週末を待って、帰っておいでって。ちゃんと勉強してなさい、 ニットの方もニコル先生との約束を果たしなさい、ですって。ママがすぐに連絡できるように、ママ用のケイタイを買ってもらって、連絡を取り合ってるの。おねえちゃんもママに電話できるよ」
「ああ、じれったい!  今私からママに電話するから、番号を教えて!
「教えるけど、ママがすぐ出てくれるかどうか、わからないよ。ケイタイのベル鳴ってるけど、どうすればいいの、ってオタオタしそうだもの。私からママに、家の電話にかけて、パパのことお姉ちゃんに知らせてあげて、と 頼んでおくね。心配して、すぐにも帰って来そうよ、と言っておくわ」

志織はちょっと考えてこう言った。
「私、やっぱりすぐに帰ることにする。パパの様子が急変してから、知らせてくれたって、数時間で帰れる距離ではないのよ。生きてて、意識がちゃんとあるうちに、会って顔を見て、話をしたいもの。会わないままで、別れることになって、後悔するなんて、ぜったいいやだ」

「学校の方は、テストとか行事とか、すっぽかしても大丈夫なの?」
「そりゃ、テスト、レポートも、馬術レースもいろいろあるけど、そんな もの、今は問題じゃないの。パパが生きるか死ぬかの心配なときに、そんなの全部すっぽかすわ。おねえちゃんが帰って来るってよ、とだけ、ママに知らせておいてね。電話してる間も惜しいよ。すぐ準備を始めるわ」 

香織は、受話器を置くとすぐに、ママに電話した。おねえちゃんらしい決断の仕方だった。

ママも志織の言い分に押し切られて、帰ってくるのを止めさせるとは言わ なかった。週末に香織が帰省すれば、姉とも会えるかもしれない、向こうで切符がすぐに取れれば、だけど・・。

香織は電話室を出て、自室に帰りながら、自分に言い聞かせた。今は私の なすべきことをするだけ。心配は山ほどあるけど、心を奪われて、沈んで いるだけでは、何も進まず、何も実らない。パパがそれを知ったら、自分のせいで、心を煩わせて悪いな、と残念がって嘆くに決まってる。パパはそういう人だもの。

へやに帰るとすぐに、机の前に座り、ニットの続きを編み足していった。 これを仕上げれば、金曜日までにあと1枚仕上げればいい。今ではもう、 自分の作った製図を見なくても、アジサイ模様を入れる目数や段数は、頭に入っていた。緑の葉の部分を入れて、花のピンクを4目いれて、グレーを 3目編みこみ、またピンクを入れて・・と夢中で編み続けた。

最後の3段を模様なしで編み終えて、編み留めをし、ほっと肩の力を抜いて、ふとアイの方を見た。

アイはアイで、香織に背を向けて、分厚い参考書を読み、メモし、その後で、本を見ずに小声で、今メモした内容をすべて、暗唱している。
香織が見ているのも気づかぬ風に、メモと暗唱をくり返している。あんな   風に、目で読み、書いて記憶に残し、それを口に出すことで、確かめているのだ。言いよどんだり、何か言葉が抜けると、もう一度読み直して、完ぺきを目指している。

香織は勉強の仕方として、自分も真似してみようと思った。 

仕上がった2枚のモチーフを、引き出しにしまい、香織は入浴をすませて、早寝することにした。夕べはろくに眠れなかったのだ。でも、もう10時半 近かった。

志織姉はきっと、明日にも帰国してくるだろう。ママを助けてパパの回復を見守ってくれる。おじいちゃんの世話も、ママの助けになるはず。香織は そう思うと、姉の帰国がうれしく、姉に会える週末が待ち遠しくてならなくなった。

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