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1章-(3) 私の中学は?

2階の自分のへやにかけこんだ。淡いピンクのベッドカバーの上に身を投げる。窓ぎわの机とその脇の大きな本箱。その一番上に並んだ、たくさんの ぬいぐるみが、みゆきを見おろしていた。

抱きしめていたゴリラのダブダブを、そっとテディベアのくまごろうと並べてやった。その隣ではウサギのミミが、今はうなだれて見える・・。

明美のへやにくらべたら、半分以下の広さしかないけれど、みゆきは自分のへやに愛着があった。

その時、母の言葉がじわじわと胸に染み入って来た。「この家を出なくては・・。アパートに逆もどり・・」

とたんに、みゆきは恐ろしいことに気づいた。4月からの、みゆきの中学はどうなる? 転居先がわからない。貧乏になるらしい。としたら、私立中学はムリってこと?

みゆきはもともとは明美とは別の、1ランク上の女子中学志望だった。それが、明美と〈香園女学園〉に行くことに決まったのは、いつものことだけど、明美の強引な誘いに根負けしたせいだった。

1ランク下の学校でトップになれば、大学はどこへだって行けるよ、と明美は陽気に請け合って、みゆきもいつのまにかその気になっていた。みゆきは軽がるとパスし、明美も補欠でなんとか受かって、4月から2人で通学するはずだった。けれども、もういっしょに行くことは決してないのだ!

(約束違反よ!  裏切りよ!  今になって、ひとりで片道1時間以上かけて 〈香園女学園〉へなんて行きたくない。わたしがほんとに行きたかったのは、ちはるお姉ちゃんの〈清美学園〉だったのに!)

2年生の姉ちはるは、清美学園ブラスバンド部の部長として 活躍していたし、生徒会長もしていて、じつに楽しそうに通学していた。

でも、今さら姉の学校に転校するなんて、できるわけがない。香園より難しい試験を受けていないのだし、何よりお金の問題があるもの! わたしは、どうなるの? 

父は建て売りのこの家を買った5年前、引越しの挨拶に行った隣が、岡山のいなかで高校卒業まで同級生だった、土屋昭彦とわかって大喜びした。

「あいつは成績は悪かったが、金儲けはうまいんだなあ」と、しきりに感心していた。

土屋氏は、不動産の仕事が順調で、お金があり余っていたらしく、広い家屋敷と2つの別荘のほかに、絵や古い陶器、掛け軸、宝石なども買い放題に  買っていた。

明美のママとみゆきのママは、すぐに仲よくなり、週末には食事に招きあった。もちろん、みゆきのママは勤務で忙しいので、土屋家に招かれる方が 多かったのだが・・。

みゆきには2歳上の姉ちはるがいて、明美には4つ下の弟の健くんがいて、どちらも4人家族だった。

みゆきは明美の通うすぐ近くの小学校に転校し、2年生からはずっと同じ クラスになっていた。おとなしいみゆきは、たいてい明美に引きまわされてはいたが、お互いのへやに泊まりっこもする親友だった。

土屋家には、夏は伊豆に海の別荘があり、冬には長野にスキー用の山小屋があった。みゆきたち一家4人は、海とスキーの両方に招かれ、毎年3日間とか一週間近く過ごさせてもらっていた。この5年間、いわば親戚以上の、 つまり家族同様につきあってきたといえる。

だから、2年ほど前、土屋氏が大きなビルの分譲住宅の仕事を始めるため、銀行に借金をすることになった時、父は頼まれて、連帯保証人を引受けた。

母もあまり反対を押し通さなかったのは、隣の一家が、自分たちに迷惑を かけるようなことを、するはずがないと信じていたからだ。(と、母は電話に向かって怒り声をあげていた。)

ところが、銀行の話でわかったのは、分譲住宅は失敗が重なり、土屋氏の 借金総額は莫大なものとなっていた。すべての財産はとっくに抵当に入っているか、差し押さえられていて、自分たちの住んでいる家屋敷すら自由にはならなかったのだ。 

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