見出し画像

困るよ、おなら

わりとノーテンキで、明るい気質のオットーさんだが、時々悩んでいたのが、おならだった。家の中なら、別に遠慮もしないのだけれど、碁仲間との碁会とか、月に一回教わりに行ってた、日本棋院9段のM先生の会の時など、我慢しなくてはならないのが、なんとも苦しいらしく、何度かぼやいていたものだ。

いつか本で読んだことがあるが、メキシコ人とアメリカで仲良くなった著者の女性が、一緒にトランプ遊びをしている時に、そのメキシコ人女性が大きなおならをした。すると彼女は、すぐさま Perfume for you! と、ニコニコして叫んだのだって。それが風習なのか、少しも恥じない姿に、なんと素敵と、その日本女性は感心したそうだ。「あなたに香りをプレゼント!」なんて、逆転の発想! 日本にもはやらせたいくらいだ。

「せいぜい御下風遊ばしませ」と、徳川家康の主治医が、家康におならをいっぱいするよう勧めた話を読んだ時、御下風  (ごかふう) という言葉に強く惹かれた。しゃれてる、面白いと思った。なるほどそうも言えるなあと、納得してしまった。今の辞書には、どこにも載っていないのが残念だ。

ある時、カナダのバンクーバーにいるパムからTELがあった。彼女の近所の大学生が日本に短期留学したがってるけど、私の家に下宿させてもらえないかな? と言った。私は面白そう、と興奮して、すぐにOKしようとしたら、オットーさんが「困るよ、気ままにおならができないじゃないか」だって。

そう言えばそうだ、彼には苦痛だろうな、とすぐに察せられたが、パムさんにそのまま伝えるのが、恥ずかしくて実に困った。でも、私のことだ、正直に言ってしまった。すると「それ、よくわかるよ、うちの人もそうだから。わかった。なんとかうまく断っておくからね」パムさんがあっさりそう言ってくれて、有り難かった。けど、私はいい機会を逃した気がして、おならの奴め、とうらめしかった。


それから数十年、最近介護の後半で、夫はお腹がぐるぐる激しく鳴っているのに、おならが出なくて苦しがった。身動きもしずらいのを、やっとのことでベッドの右手すりに捕まって、なんとか右向きに身を少し動かせたら、やっと音がした。出たねえ、よかったねえ、ラクになった?と聞くと、頷く。

そうなのだ、「せいぜい御下風遊ばしませ」は、どの時代にも、どんな身分の人にも、大事な大事なことだったのだ。口から食べるからには、排泄しなくては!循環していかなくては、人は生きてはいけないのだ!おならは困るどころか、有り難い代物でもあったことを、その時、痛感したのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?