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7章-(5) 年明けて寮へ

病室のパパのベッドに近づいたら、もうそれだけで涙ぐんでしまいそうなのを、香織は懸命にこらえて、笑顔になった。
「お、アオリ」
と、パパは顔の右半分だけ笑顔になって、言った。左側が全体に動かし       にくいらしい。

「ただいま。明けましておめでとうございます。今朝、年賀状が来てて、  持ってきたのよ。後で、読んであげるね」
と、香織は精一杯の声を出して言った。耳が半分聞こえないのかも、と。

「パパ宛てに年賀状が187枚あったのよ。私が葉書を出しておきますね」
とママが言い、パパがありがとうと言うように、うなずいて頭をかすかに  下げた。

「オレには3枚しか来なかった。オレもぜんぜん出してないからな。メールはやるけど、年賀状はもう書けないや」
「あたしは書いたよ。中学の時の友だちいっぱいいるからさ。25枚来てた。オリもけっこうたくさん来てたね。住所教えて上げたんだ」

「違うの、誰にも教えてないけど、名簿を見てくれてるのよ」と、香織。
「そうか、日本じゃ名簿があるよね。アメリカにはなかったよ」
「返事を書かなくちゃ。私、1枚も書かなかったのに、江元寮監先生も          ミス・ニコルまで下さったから・・」
「葉書なら、150枚ほど買ったのよ。私は50枚までは書けたけど、残ってるから、今日のうちにできるだけ書いてしまいましょ」
とママが言った。香織もその賀状をもらうことにした。

冬休みの間の勉強は、兄姉に数学と英語を教わることができた。編み物は 残り3枚は暮れの28日には送り出してしまい、その後は、クラスの6人の世話役の人たち分を編み続け、それから、3年生分に取りかかった。 

毎日、面会時間に、少しの時間でもパパを訪れて、笑顔を交わした。パパの笑顔は右半分だけで、握手も右手だけだけれど、それでも温もりと脈動が感じられて、嬉しい時間だった。

「パパ、明日寮に帰るけど、また来るから、リハビリ頑張っててね」
「ユーキとオールにヨオシク」と、パパ。
「ん、伝えておくね。じゃ、パパ、待っててね」

貴史兄と志織姉が車で、新幹線駅まで送ってくれて、香織は寮へ帰った。 1月10日のことだった。

寮の玄関を開けたとたんに鉢合わせしたのは、元寮長で、1学期に同じ  かえで班だった、3年生の渡辺恒美元寮長だった。
「おかえりなさい! 冬休み中に3年生分を始められる、って言ってたけど、ほんとに始められたの?」

「その前にやるのもあったものだから、まだ4枚しかできてないんです。 お渡しの仕方なんですけど、全部が仕上がってからの方がいいですよね」
香織はその事を、気にしていたのだ。受験で忙しい3年生たちに、できた 枚数ずつお渡ししていたら、気を散らせることになると思えて・・。

「あら、いいこと考えて下さったのね、それが一番いいわ。24枚でき  あがったら、その時、あたしに知らせてくれれば、皆を集めて〈贈呈式〉 をしますからね」
「クフ、大げさですね」
「それくらいしなくちゃ。それより、先に伺っておきたいのだけど、あの 額縁ニットひとつを出来上がるまでの材料費は、どのくらいかかるのか教えてね。毛糸も何色か使うし、額縁も買うでしょ」

そう訊かれても、香織は答えにくく、て顔をしかめた。額縁の代金はすぐにわかるけど、毛糸となると、ひと玉で何枚できるか、意識したことがない。とりわけ、ピンクやグリーン、ブルーなどの色物になると、よけいにわかりにくい。

「考えておきますけど・・」
と、答えたものの、難問だった。 

ボストンバッグを持って、階段を上がろうとしたら、直子が階下の10号室から駆けつけてきた。渡辺さんとの会話が、廊下にひびいて、聞こえていたらしい。すぐに香織の重いバッグを持ち上げてくれて、香織のへやまでついてきた。

山口アイさんはすでに机に向かって、いつもの勉強の続きを始めていた。 直子は小声になって、香織にこう提案した。
「オリ、材料費がいくらになるか、わかんないんでしょ。いっしょに考えてあげるよ。まずは、土台のグレーの毛糸の袋を見せて」

10玉入っているビニール袋から、順に取り出していたのだが、残り3つに なっている袋を見せたら、
「ほら、ここに値段が書いてあるじゃない。これを10で割れば、ひと玉の 値段がわかるよね。これから、新しい1枚を創り出すときに、紙に一を書いて、1枚編み終えて、次のを編み出すとき1を足して、というふうに、正の字を作っていくのよ。あたしが見ていて、たぶんひと玉で3枚くらい編んでたと思うけど、確実にやってみるの。他の色も同じよ。買った袋に値段がついてるもの」

心強い提案だった。
香織はやっと納得して、直子の言うとおりにやってみることにした。結局、最終的にわかって、渡辺さんに伝えられたのは、2週間ほど後のことだったけど。

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