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 4章-(7) 香織の一里塚

夕食後、香織は自室に帰らず、まっすぐに直子のへやを訪ねて、Hデパートの営業部の香山さんの話をした。

「その人、こんなことも言ってたの。あの時の、壁に飾った24枚のアジサイニットの写真を、拡大して上司に見せたら、上司が驚いて、これはきっと人の心を打ち、人を励ましてくれる作品だ!   ぜひ、うちでもやらせて欲しいと、作者を説き伏せてきてくれ、と強く言われたのだって・・。わたし、話が広がりすぎて、大げさすぎるみたいで、引っ込みたくなるの、怖いよ」

直子は、そんな香織の懸念を吹き飛ばすように、声をはずませて言った。
「いい話じゃないの。デパートで個展をしてもらえる高校生なんて、いないよ。チャンスは逃すなって言うじゃない。これは香織のこの先を占う一里塚になるじゃないの」
「一里塚って、なんのこと?」

「そうね、大きな目標に向かう始まりみたいなものよ。その段階を通って、さらに先へ進んでいくの」
「私にそんなことできるかなあ。信じらんないよ」

「何言ってるの。もう始めてるじゃないの。そうか、わかったぞ、オリに とっては、今年の文化祭が一里塚の始まりの日だったんだわ。そこから、 いろんなことが、始まってるのよ。この話もそのつながりだもの」

それなら、やっぱりミス・ニコルに話してみよう。一番の始まりは、ミス・ニコルの額縁入れからだったのだから、と香織は思って自室に戻った。こういう話は、直子でないと話せないことだった。香織のほぼ何もかもを知っている人だから。

同室のアイさんは、香織がへやに戻った頃には、すでに机に向かっていた。香織がるすの間に、勉強前のストレッチを10分ほどやっていたに違いないのだ。それが彼女の毎日の日課になっているのを知っていた。直子と香織がラジオ体操を朝、いっしょにやっていたようなものだ。

黙学時間いっぱい、いつもの予習復習に集中した。
その時間が終って、やれやれと机の上を片付けていたら、ドアをノック  された。
「笹野さんにお電話です」

あ、だれだろ? 香織はすぐに電話室へ下りて行った。
「おう、カオリ、どうしてる? 今度の木曜は、おふくろがポールの誕生日を祝うってさ。2人で何かプレゼントをしようよ」
結城君だった。
「いいよ。何か考えてるの?」
「まあな。カリフォルニアはあったかいから、あいつ、セーターとか持ってないからさ。駅までの途中に男物を売ってる店があるだろ、そこで何か選んじゃおう」
「それいいと思う。今日が火曜日だから、明日の夕方ね。私、ミス・ニコルにお話に行ってからにしたいから、5時ならだいじょうぶかな」
「じゃ、正門で5時に待ってる。何の話に行くのか気になるけど、その時に聞かせろな」
香織は声には出さずにうなずいたが、結城君は気配で察したらしく、よし よしと言った。

翌日の授業が終るとすぐに、制服姿でカバンを持ったまま、ミス・ニコルの教師館を訪ねた。幸いにも、先生は在室だった。
「おう、カオリ、何かありましたか?」

香織は寮へ昨日訪ねて来た、Hデパートの営業部の香山さんの名詞を見せて、額縁ニットを展示させてほしいと言われたこと。時間がないし、今は できないと答えたら、1年か2年先にでも、Hデパートで個展を開いたら どうかと言われたことも話した。 

先生はふんふんと聞きながら、笑顔を浮かべていたが、考えているふうでもあった。
「あなたのハイドレンジアは、ほんとに素晴らしい。今のままでも、すでに完成形になっているけれど、でも、それだけで何年もしばられているのは、どうかしらね。もっとニットの可能性を勉強して、別のデザインや形を作り出すこともできますからね。あなたは製図ができるから、新しいものもできると思いますよ。個展をするとしたら、あのハイドレンジア以外の作品も、並べてみせたいですね。少し大きな物などもね。そのつもりで、その時を 目標にしておくといいですね」
と、ミス・ニコルはゆっくりとした英語に、時折日本語を交えながら、そう言ってくれた。
先生も、デパートでの個展は、香織の一里塚であるとのお考えなのだ。
「ニットも勉強なんですね。ストレスが増えちゃいます」

先生は笑い声をあげて、でもいつも楽しそうにやってるじゃないの、と言ってくれた。そう、たしかに楽しいことではあった。

その後、香織は寮に帰って、大急ぎで着がえをして、校門で結城君と落ち合い、ポールのセーターを買いに出かけた。
もちろん、好奇心の塊の結城君に突っこまれて、ミス・ニコルに話したことと、その答を話す事になったのだった。
「オリは自分にぴったりのものを見つけて、よかったな。ムリせずに楽しみながらやれば、ずっと続けられるよ」
そう言いながら、香織をいとおしそうに、肩を抱き寄せてくれた。

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