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8章-(3) 志織姉の重大な話

初デートがどうだったのか、圭子には伝える気力はなくて、香織はその日、夕方7時に寮まで結城君に送ってもらって、へやに帰り着くと、そのまま 眠り  込んでしまった。

海風と、遠出と、小田原城の最上階まで上っただけでも、香織には冒険      すぎて、疲れてしまったのだ。結城君は、何を話しても受け入れてくれて、楽しくて、刺激的で、幸せな1日だった。

その夜は、遅く11時近くにお風呂で、日焼け止めクリームを落したり、  砂で汚れた足を洗ったり、ゆっくり湯船に沈んだりして、その後はぐっすりと眠れた。

そして次の日の演劇鑑賞も、香織が見たい『ハリーポッターと秘密の部屋』を、普通の映画館で見た。ハラハラする場面では、結城君の肩に顔を伏せて、見るのを避けた。結城君はそっと腕を回して、抱き寄せてくれた。

寮まで送ってくれて、やさしいキスのお別れが、習慣になりそうだった。

夏休み3日目の朝、香織は江本寮監に挨拶をし、渡辺恒美さんにも別れを 告げて、大阪への新幹線に乗った。指定席に座ってまもなく、香織は小さなリュックの中から、英語の読み物宿題の『The Doll's House』を、広げて解らない語に印をつけ始めた。2学期をかけて読むことになっていて、それぞれに予習をしてくることになっていた。数学は得意な姉に教わることにする。国語の読書感想文は、そのうちに決めよう。

リュックには、すでに夕べから編み始めた〈あじさいのモチーフ〉一枚目の、10段ほどあみかけたのが、編み針に挿したまま、入れてある。これも、毎日何段かずつ編んで、なるべくたくさんの枚数を編上げるつもりだった。ミス・ニコルのアドバイスに応えなくては!

大阪の豊中市にある祖父の家に着くと、志織姉が待ちかまえていて、玄関に飛びだしてきた。香織のスーツケースを押しのけて、香織を抱きしめた。

「お帰り! 2年ぶりだね。早く部屋に上がってきて、話したい事いっぱい だから」

ママは午後から、会話教室担当で、きちんとしたワンピース姿で出てきた。

「元気そうでよかった。圭子ちゃんのお宅にお世話になって、よかったわね。久しぶりのお泊まりだものね」

ママは完全に信じてくれていた。志織姉がこっそり、香織にウインクして みせた。

「じゃ、教室に行って来ますね。おじいちゃんにちゃんとご挨拶するのよ」

と余計なひと言を残して、ママは出かけて行った。

おじいちゃんは居間で、テレビで囲碁の手合わせを見ているところだった。

「ただいま。やっと1学期が終りました。夏休み中、騒がしくなるけど」

「やあ、お帰り。いくら騒いだっていいよ。耳は遠いからね」

おじいちゃんは元気そうだった。

志織姉が香織の腕をひっぱった。早く2人のへやへ行こうという、合図だ。

「何の話なの?」
と、香織が言ってしまったほど、志織はせっぱつまった表情だった。

へやに入って、ソファに座るとすぐに、志織は話し出した。

「あのね、アメリカの高校で、一番の親友だった人が、ついこの間、亡く なったの。まだ17歳だよ。10日ほど前の事なんだ。ショックでね。あの町にいられない気分になってしまって、うちで気持ちを休めたくなったの」

「病気だったの、その人?」

志織は激しく首を振った。

「ジェインは妊娠中絶に失敗して、出血多量で亡くなったの。アメリカでは中絶は禁止だから、もぐりの医者だと思うけど・・失敗だったの・・。私はジェインの親友だったから、ご両親からもいろいろ訊かれてね。でも詳しくは言えなかった。私は中絶を止めたのだけど、ジェインはモルモン教の教えもあって、生むわけにはいかないの、って言い張って・・」

そこまで話すと、志織はもう涙をあふれさせて、言葉が途切れた。

「・・オリが、デートするようになった、って、この前のTELで言ったね。それ聞いて、すぐに早くオリに会って、注意しておきたいと思ったの。オリは、きっと何も知らないはずだから。男の人ってね、好きってなると、欲しいってなると、自分を抑えられなくなる人が多いの。特に高校生くらいの男の子はね。アメリカのクラスの女の子たちは、ほとんどがピルを飲んでる」

「え? ピルって?」

「ほら、やっぱり知らないんだ。あたしだって飲んでるよ。いやだけど、時々、クラスで妊娠した人の話を聞かされたり、高校生で赤ちゃんを実際に産んでる子がいるんだもの、自分を守るために飲むの。ジェインはモルモン教徒で、ピルは飲んでなかったのよ」

志織はそれから、自分が読んだ英語の本を、自分のトランクから取り出してきた。Jhon D. Fitzgerald という人の『Papa Married a Mormon』という本だった。

ハードカバーで厚さ3cmの本の表紙や中を見せながら、話してくれた。

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