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 3章-(1) 里帰りまで

7日目に帯江村三の割に戻るまでには、かよの毎日はほぼ決まったように、くりかえされていた。

朝のお水神さま参りをすませ、つるが目覚めると、かよはおくさまの側  から、つるを台所近くの下女べやへ連れて行き、おむつ替えをする。おトラさんがつるに乳を飲ませている間に、かよはおむつの洗濯をして干す。井戸水で洗濯するしかないので、今ではもう慣れることにしている。

台所で朝ご飯をすませてから、しばらくはつるを抱いたり、胸の前に新しいネル地の布で抱っこして、散歩したりする。この時が、かよには一番嬉しいひとときだった。

フミおくさまが朝の身支度をし、朝食を旦那様と共に、下女たちのせわで すませ、落着かれた頃に、かよはつるをおくさまにお渡しする。

かよの学校が始まるのは、4月の10日と聞かされていた。お屋敷から西 の方へ15分ほど歩いたところに、中島小学校があり、その1年生に入れてもらえるよう、旦那様が申し入れをしてくれたそうだ。

かよは学校を怖れてもいたけれど、一方でどんなことが始まるのかと、知りたい思いも少しずつ強くなっていた。

おくさまはつるが泣いて、なだめても泣き止んでくれないときは、手を叩くか、鐘を鳴らして、台所にいるかよをお呼びになる。たいていは、おむつを濡らしていたり、便をしていたり、乳を欲しがる時だった。かよはそのための子守だから喜んでつるを抱いて、下女部屋へ下がってつるの世話をする。

かよは手があいている時は、いつも何かしら台所などを手伝った。カマドの火燃しをしたり、廊下の拭き掃除しているおシズさんを手伝ったり、庭掃除をしたりする。下女がしらのおキヌさんは、それは自分たちの仕事だから、と言ってくれるが、かよは暇をもてあますより、何かしている方が気が休まるのだった。

こうしていよいよ明日は、7日目という日、おくさまに約束通り、里帰りしておいで、と夕食後に言われた。その時、おくさまは袂から紙包みをかよに渡して、こう言い足した。

「これは私からのお悔やみでな。かかさんのお仏壇にお線香でも上げてな。おまえも辛かろうがよう辛抱して働いて、つるの子守をしてくれて、ありがとよ。こっちは、おまえへの、ほんのちぃっとじゃけど、ごほうびじゃ」

かよこそ有り難いお言葉に、深くおじぎを返して、ふたつの包みを受け取った。おくさまは思い出すように、しみじみとこう言われた。

「うちの糸が、おちよさんのことをよう感心して言うとった。女学校の行き帰りに出おうたお年寄りや、身の不自由な人を、必ず声かけて手助けする、ええ人じゃった、とな。ほんまの仲よしじゃったけん、あの世へ行くのも お産ちぅ、同じじゃったんかな・・」

1泊だけの里帰りだが、つるの下の世話などは、おシズさんが引き受けてくれた。おシズさんは出戻りと呼ばれることもある、と啓一が教えてくれた。20歳で結婚したが、4年経っても赤子が生まれず、実家に戻されたのだと。おシズさんは元働いていた白神家に戻ってきていたのだ。

朝早くに発つからと、おキヌさんは口には出さずに、米袋と、ビンにつめた味噌と、干し魚5匹も夜のうちに用意してくれた。おトラさんは自分が好きで、よく揚げていたカキモチを紙袋にどっさり入れて、全部を風呂敷にふんわりとくるんでくれた。

かよはじいちゃんに、ここの井戸の水を持てるだけ持って行きたい、と言ってみた。三の割の井戸の水もおいしいのだが、ふんだんにあるここの井戸の味も、とめ吉やすえに味あわせてやりたかった。

「水は重いけん。1升瓶を抱えて行けるかのう? 入れ物がそれしかねえで」

「がんばって持っていく」

かよは言い張って、じいちゃんが用意してくれた1升瓶に水を入れて、風呂敷包みのそばに立てておいた。

夜寝る頃になって、啓一がこっそりかよの寝床にやってきて、ささやき声で言った。

「3つしか取っておけんかったけど、とめちゃんらに食わせてやって」 と、わらとボロ布にるんだ卵を3個、差し出した。          「かあちゃんに知れたら、うるせぇけん、毎朝1個ずつ隠しとったんじゃ」「ありがとなぁ、何もお礼できんのに」               「ええて、いっつも雄鶏にやられんよう、手ごうしてくれたけん、そのお礼じゃ」

かよはありがたくて、深々と頭を下げた。卵を割らずに持ち帰るには、どこに入れようかと迷った。着物の袖の中ではふくらんで、朝出がけに万一ヨシ伯母に見つかったら、啓一の好意をむだにしてしまう。風呂敷包みをほどいて、なんとか揚げ餅の袋の上をへこませて、卵を乗せることにした。割らないように、気をつけなくては・・。ただの3つの卵にしても、とめ吉たちは初めて食べることになるのだから、どんなに喜ぶだろう。

こうして翌朝、かよはじっちゃの家を出た。外はまだ薄暗いが、母屋の台所には灯がともり、音がしているので、ちょっと寄って、挨拶だけはした。

おキヌさんとおシズさんが、戸口まで送ってくれた。おトラさんは自分の娘に乳をやっているとかで、下女べやにいるのだった。         「明日朝戻りますので、おつる様をよろしうお願いいたします」
と、かよはとりわけおシズさんに、そう言い残した。

口数少ないおキヌさんが、はっきりとこう言った。          「気をつけてな、おうちの方も大変じゃろうけど、待っとるけん。うちらの仕事をいつも手ごうしてくれて、ありがてぇと思うとるよ」

その言葉にかよは胸を熱くして、おじぎを返すと、お屋敷に背を向けた。 


  (画像 蘭紗理かざり作)

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